ディケンズ・フェロウシップ会報 第十六号(1993年)
The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. XVI
ディケンズ・フェロウシップ日本支部
1992年10月-1993年9月
総会
1992年10月3日(土)14:00〜17:00
於東京女子大学文理学部
プログラム
1.総会(14:00〜)
2.講演:(14:30〜)
司会:山本史郎氏
講師:Angus Collins氏(東京大学)
演題:"OrweIl's Dickens: An Essay and its Contexts"
3.講演と朗読(15:30〜)
司会:北條文緒氏
講師:Robert Golding氏(ベルリン自由大学セニア・レクチャラー)
演題:Readings from Dickens
春季大会
1993年6月5日(土)14:00〜17:30
於新潟大学五十嵐キャンパス人文学部A331教室
プログラム
1.開会の辞(14:00〜14:20)
支部長:小池滋氏
2.研究発表(14:20〜15:20)
司会:植木研介氏
発表者:(1):小寺理砂氏
「A Christmas CarolにおけるDickensの『クリスマスの奇
跡』」
(2):大口郁子氏
「Great Expectations――Pipと遺産相続の条件」
3.講演(15:30〜17:30)
司会:間二郎氏
講師:富山太佳夫氏
演題:「ヴィクトリア朝の引っ越し――ディケンズの場合」債務者監獄
と英国小説
原英一
ディケンズの小説の中で監獄が果たす役割が大きいことは、周知の事実であ
る。『ボズのスケッチ集』に収められた「ニユーゲイト訪問記」を皮切りに、
多くの作品に監獄が登場し、プロットの展開の上でもテーマの上でも、重要な
意味を担っている。ニユーゲイトのような刑事犯を収容する監獄は、その門前
に据えられた法権力の究極の象徴たる絞首台と共に、ディケンズにとっては一
種病的なまでの関心の対象であり続け、一方、フリートやマーシャルシーなど
の債務者監獄の有様は、少年時代の辛い記憶と分かちがたく結びついて、醒め
ることのない悪夢のように、彼の心の奥底に淀んでいた。これらのことは、今
更あらためて述べるのが愚かしく思えるほど、ディケンズの世界にとって基本
的な要素である。
しかし、監獄というものは、イギリスの小説の歴史の中で見ると、決してデ
ィケンズの作品に特異的に出現するものではなく、むしろありふれたものであ
る。デフォー以来の小説をずっと読ん
てくると、重要な小説の重要な部分で監獄が果たしている役割があまりに大き
いことに気付かざるをえず、その結果として小説というジャンルそのものと監
獄とが不可分ではないのか、と時として考えさせられることになる。私は、最
近、特に債務者監獄がディケンズ以前の作家たちの作品の中でもっている意味
に、強い関心を抱いている。いったいディケンズ以前の小説における債務者監
獄はどのように現れているのであろうか。
債務者監獄制度の末期であったヴィクトリア女王時代と比べて、十七・十八
世紀はこの制度が一民衆の生活によりおおきな影響を持っていた時代であった
と言えよう。借金が払えない人間を投獄することによって、借金返済のための
労働の機会を奪ってしまうという、この制度の根本的非合理性は、いつの時代
にも不変であるが、他の点でも多くの不合理や不正がこの制度につきまとって
いた。ディケンズが債務者監獄を小説の中で最初に描いたのは、周知のように、
『ピックウイック』においてであったが、そこではフリート監獄の貧民監房(poor
side)の悲惨な状況が痛烈な攻撃の対象となっている。「後世の人々の敬意と賞
賛を得ることになるであろうが、わが国の法典には正義にして健全なる法規が
抹消されることなく残されていて、そこでは、頑健な凶悪犯には食事と衣服を
与えるべし、一文無しの債務者は飢えるにまかせ、裸のまま放置して死に至ら
しむるべし、と規定されているのだ」(第四十二章)と語るディケンズの言葉
には、債務者が監獄内では自分の食料や衣料をすべて自前で調達しなければな
らないという不公平に対する、強い憤りがこめられている。だが、十八世紀の
債務者監獄の状況は更にひどいものであった。一六九一年にモーゼス・ピット
なる人物が『虐げられた者の叫び』というパンフレットを出版し、自分がフリ
ート監獄に入る際に、「紳士監房」(gentlemen's side)に入るための料金や室料
を不当に高く徴収されたことや、金が底をつくと地下牢に押し込められたこと
などを告発している。債務者監獄の関係者が、弱い立場の債務者に対してハイ
エナのようにたかっていたことは、種々の文献の記録で分かるのだが、小説で
はフィールディングの『アミーリア』がその辺をよく描いている。主人公アミ
ーリアの夫のブース大尉は、善人だが金に縁がなく、何度も借金のために逮捕
されてしまう。次に引用するのは彼が捕吏(bailiff)の家に連行された時の描写
である。
まず最初にブースは〔ここまで彼を連行するのに使用された〕馬車の借賃を
請求された。捕吏の計算によれば、二シリングになるというのだが、それは法
定額のちょうど二倍の金額であった。次に彼は「パンチを一杯いかがですかね」
と尋ねられ、いらないと答えると、捕吏はこう言った。「そんならどうぞお好
きなようになすって下さい、旦那。でも、ここの習わしはご存知でしょう。な
にしろ囚人がたくさんいるもんで、無料で個室を旦那方にご提供申し上げるっ
てわけにはいきませんのでしてねぇ」(第八巻第一章)
結局ブースはこのあからさまな要求に応じて、肉料理の高価な夕食を予約し、
食後に捕吏と一杯やることに同意するのである。
ここに見られるように、当時は捕吏の家が債務者を一時的に収容する代理監
獄のような役割を果たしていた。そこはフリートやマーシャルシーのいわばミ
ニチュア版であって、「金持ち」の債務者と貧乏な債務者との差別待遇や役人
のたかりぶりなど、正規の監獄と全く変わらなかったのである。債務者監獄の
制度がいくらでも悪用可能なものであったことは、『ピックウィック』や『リ
トル・ドリット』を見るまでもなく、容易に推察できよう。借金を払う気のな
い金持ち紳士(ピックウィック氏はまさにその典型)は、監獄の中でも個室に
寝起きし、美食と美酒を楽しむことができた。役人はそういう連中にいくらで
もたかることができたわけだし、逆に本当に貧乏な囚人は虐待したのである。
結局最も苦しむのはブースのような貧しい善人である。悪人ではなく善人が投
獄されることに債務者監獄の特異性がある。『アミーリア』はこのことを巧み
に利用した小説であり、ゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』でも、
清貧の善人プリムローズ牧師は、さまざまな苦難の果ての行く着く場所として
債務者監獄に投獄される。善人がこうむる災厄としての債務者監獄は、いくつ
もの小説の中で特別な意味を持っているように思われる。
債務者監獄という一つの指標に従って、ディケンズまでの英国小説の系譜を
再検討してゆく中で、私にとって最も衝撃的な出会いはリチャードソンの『ク
ラリッサ』であった。ディケンズの愛読者であれば、私がこれまでこの作家を
敬して遠ざけてきた理由は、おそらく心情的に理解してもらえるだろう。しか
し、実際に読んでると、意外なことにリチャードソンは、むしろフィールディ
ングよりも、ディケンズとの親近性の強い作家であることが分かった。特に「劇
場的」作家として、この二人は驚くほど本質的に共通するものを持っている。
それはともかくとして、わたしにとって最大の発見は『クラリッサ』に債務者
監獄(正確には前述のような捕吏の家)が登場することであった。ラヴレスの
手から逃れたクラリッサは、彼の手下の策略によって、虚偽の債務不履行のか
どで逮捕される(この手口はデフォーの『ロクサーナ』などの小説にも登場し、
現実にもしばしば行われた制度悪用の例である)。父親と兄の手による自宅で
の軟禁、ラヴレスによる売春宿での監禁と続いたクラリッサの「閉じ込め」の
テーマが行き若いた先が債務者監獄であったことに、私は深い驚きを感じると
同時に、ある必然性をも感じざるをえなかった。この時、デフォーからディケ
ンズに至るまでの英国小説の本質の一部が、はっきりと見えたように思えたの
である。
クラリッサはこの苛酷な試練をむしろ淡々と受け入れる。なぜなら、この投
獄は彼女の精神的勝利の象徴であり、ラヴレスの敗北の始まりであるからであ
る。独房の彼女の姿は、自ら進んでついにマーシャルシーの囚人となったアー
サー・クレナムの姿を思い起こさせ、一種崇高なものに見える。この二人の間
にある一世紀の距離に一つの説明を与えることができたとき、私は、ディケン
ズの小説の真の理解に一歩近づくことができるのかもしれない。
中に入るとそこは外
栂正行
一九九二年夏から九三年夏までロンドンにいた。この間、ロンドン大学バー
クベック・カレッジでディケンズ研究や批評理論研究の片鱗に触れ、大英図書
館等でさまざまな書物を目にした。英国についてすでにかなりのことが日本に
伝えられている二十世紀末の留学とはいえ、それはそれで小さな発見と大小の
苦労に満ちていた。発見は、大学でも、街でも、また人との会話の中でも、書
物の中でも、常に起こった。それらは個人の短いディケンズ愛読史および外国
観察史にあっては貴重なエピソードとなった。そうした中で、私がひとつ不思
議な思いを抱いたのは、ディケンズ・ハウスの地下の書棚に一冊の本を見つけ
た時であった。それは『英語青年』ディケンズ特集号であった。ディケンズ・
ハウスのライブラリーを訪れた日本人が、研究書の山の中に、二十数年前に日
本で出たディケンズ特集号を見つけた時の驚きを、はたしてどう伝えたものだ
ろう。その発行年代と今との間に横たわる短かからざる時間が、目の前で急に
圧縮された時、外国文学研究とは何か、一作家についての個人の研究史とひと
つの国の研究史の関係とは何か、旅の目的地とは何か、ポストモダニズムにお
けるノスタルジーとは何か、といった問題が次々と脈絡もなく溢れてきて、し
ばらく整理がつかなかったものだ。こういう驚きを最も忠実に再現しうるのは
小説というジャンルであろう。幸か不幸かエピソードの小説的熟成を待つ時間
も本もない私にとっては、この驚きの原因探究にあたっては、さらに大きな時
空を備えた文脈を用意しなければならないと考えるのがせいぜいのところであ
った。この思いは、たまたま参加した演習とも、また留学の前に出かけたアジ
アの国々で抱え込んだ複数の疑問とも結びついた。演習のテーマのひとつはコ
ロニアリズムであった。射程内にあるのはアフリカとインドで、時々中国がで
てくる。その向こうから私は来た。英国の外のまた外から日本人がやってきた
ところ、中の人々の目は外の世界に向かっている。批評理論はフランスを向き、
フェミニズムはアメリカを意識し、コロニアリズムはアフリカ、インド、中国
に目を注ぐ(もちろん中の世界をまもる人々もたくさんいる)。日本人が遥か
彼方の外の世界から中に入る。中に入ると、そこには外がある。このことは大
学の人々の関心のありようばかりでなく、身近なロンドンの街自体にも当ては
まる。ソーホーに足を踏み入れると、中国というまぎれもない外国がある。サ
ー・ジョン・ソーン博物館に入ると、イタリアのミニチュアがある。ポロック
おもちゃ博物館を訪ねると、過去という名の外国を、つまり幼年時代という一
時期を飾る装飾の数々がある。コベント・ガーデン広場に出かけると、そこに
は英文学のあれこれのエピソードの舞台装置ばかりでなく、外国から集まって
きた人がいて、集められた物がある。準旅人がディケンズ・ハウスを訪ねると、
おびただしい数のディケンズ像の中、またひとり、『英語青年』にまとめ上げ
られたディケンズがいる。私は二十数年前に日本にいたディケンズ(像)に、
はからずも出会ってしまったのだ。大学の人々の関心のありようであれ、日常
生活であれ、中に入るとそこは外という不思議なからくり。それが最も如実に
視覚化されているのは、九六年までに移転予定の大英図書館のラウンド・リー
ディング・ルームであろう。雨降りの一日、図書室に入る。そこにあるのは外
の世界についてのあらゆる資料だ。丸い壁の書棚の本は、読者に外の世界の解
読の方法を教える。と同時に読者の目から外の現実を遮りもする。
留学直後、しばらくディケンズが読めなくなったことがあった。ディケンズ
の描く舞台があまりに近くにあり、虚構世界が現実の前で一時敗北したからら
しい。しかし時の経過と共に現実は日常化し、現実解読の手立てのひとつとし
て、虚構の必要を再び理解するようになった。そうした折、今度は日常化した
ロンドンのどこを見直せばよいか確かめようと、ディケンズ外遊先の港町に出
かけた。すると、ディケンズ作品に対してもロンドンに対しても、ほめすぎる
でもなく、けなすでもない、程よい距離がとれるようになった。だが、適当な
距離がとれるようになった本当の理由は、ジェノアへの旅を継ぎ足すというロ
ンドン相対化作業の成果でなく、しばらくロンドン滞在によって、人種問題、
大量失業問題、爆弾事件等を日々の現実と感じるようになり、ヨーロッパのさ
まざまな混乱と、時々載る日本についての新聞記事に奇妙な類似を読み取るよ
うになり、街中での大小の苦労と人から受ける予期せぬ親切は結局差し引きゼ
ロになるではないかと割り切れるようになったからかもしれない。
これから、いくつのディケンズ像に出会えるかは、ディケンズに入るとそこ
は外、外に出るとそこにはディケンズがいるというような認識を許容する時空
の中で、現実において、そして書物において、はたしてどれだけ旅ができるか
にかかっているような気がする。
『ピクウィック症候群』について
金山亮太
ディケンジアンの方々ならば先刻ご承知の通り、『ピクウィック症候群』と
は『睡眠時突発性呼吸停止症候群』の別名である。就寝時に激しくいびきをか
く傾向のある肥満型の中年男性に多く見られる症状で、仰向けに寝ているとき
に気管が圧迫される形で呼吸が自然に停止し、長い時にはこの無呼吸状態が一
分以上続くこともある。息苦しくなってきて深呼吸することで再びいびきをか
き始め、この繰り返しが一晩中続く。当然このような状態では熟睡に至ること
は叶わず、疲労の回復が遅れることになる。その結果、本人は十分に睡眠時間
を取っているつもりであっても倦怠感が残り、日中に居眠りをするなど、注意
力、集中力の低下が一般に見られるという。
ピクウィック氏のような体型の持ち主に頻発することから、彼の名を冠した
病名がこの症状に与えられたのであろうが、原作を読む限り、彼が日中に居眠
りをしているといった描写はほとんど無いに等しい。確かに、公刊された『ピ
クウィック』の表紙の扉絵には釣り舟の上で糸を垂れながら居眠りをするピク
ウィック氏の姿が描かれており、あるいはこの病気の命名者はこの絵に触発さ
れたのかも知れない。しかし、周知の如くこの扉絵は謎の自殺を遂げた最初の
挿絵画家R・シーモアの手によるものであり、ディケンズの意図が反映されたも
のではなかったのである。
ピクウィック氏は初老の男性とは思えないほど活気に満ち、若き従者サミュ
エル・ウェラー氏との息もぴったりと合って旅を続けてゆく。行く先々で何か
と事件に巻きこまれるピクウィッククラブの面々には、それこそ居眠りをして
いる暇など無いのだ。あたかも青年のような好奇心と行動力を発揮するピクウ
ィック氏には恐らく快適な夜の眠りが約束されているのであって、この病気の
患者特有の体型をしているにも拘らず、彼は『ピクウィック症候群』には罹っ
ていないようである。
むしろ、この作品の中で居眠りばかりしていることで読者に記憶されるのは
ウオードル氏の小姓で『でぶの少年』ことジョーであろう。作品中、彼が登場
する部分は決して多くないが、そこでは必ず食べるか居眠りをしている姿が描
かれている。ピクウィック氏一行の中でも最も若い部類に入るであろうにも拘
らず、この少年、明らかに『ピクウィック症候群』の患者と言えそうである。
おまけに、唯一目を覚ましている場面とは、トレイシー・タップマン氏がウォ
ードル氏の妹レイチェルに言い寄っているのを目撃する件であって、彼はそれ
をウォードル氏の老母にご注進に及び、揚句の果てにこの一件は詐欺師アルフ
レッド・シングル氏とレイチェルの駆け落ち、ピクウィック氏とウォードル氏
の追跡と馬車の事故、そしてジングル達の投宿先でピクウィック氏はサム・ウ
ェラーと邂逅することになる。
こうして見ると、この太っちょジョー君が作品中で果たす役割は看過できな
いものであることがわかるが、ここで注目しておきたいのはピクウィック氏と
ジョー君の対照性である。かたやクラブの最長老でありながら「スポーティン
グ・スピリット」に満ちたピクウィック氏の健康さと、最年少の一人でありな
がら既に怠惰と飽食に取り憑かれているようなジョー君の不健康さとをどう解
釈すれば良いのだろうか。
先輩の挿絵画家シーモアが描いてみせた「居眠りする初老の男」というステ
レオタイプへの若きディケンズの意趣返しと見ることも可能であろうし、ある
いはディケンズの作品に常に見られる大人と子供の立場の転倒――子供っぽく
未熟な大人と覇気に欠けた分別臭い子供――の最も初期の例と考えることもで
きよう。しかし、意気軒高な老人もいつかは隠居を考え始めるように、ピクウ
ィック氏の遅ればせながらの青春はヴィクトリア女王の即位と入れ代わるよう
にして終わりを告げるのであり、作者と同時代の読者達が常に彼に求め続けた
「ピクウィック的陽気さ」は遂に再現されることはなかったのである。年若き
女王の即位によって以前にもまして興隆の気運が漲るヴィクトリア朝英国には、
もはや「元気な不良老人」の居場所など残されてはいなかった。効率万能主義
と機械文明は「余暇」「遊び」といった言葉を死語にしてしまう。自助の精神
が称揚され、弱肉強食が黙認されるこのような社会で生き残るためには、人々
は気力と体力を異様に充実させておかなければならない。病的なまでに健康な
彼らはまさしく「二十四時間戦える」人物であり、うかうか居眠りなどしては
いられないし、ましてや健康で安楽な老後のことなど考える余裕はない。働き
盛りを怠惰に過ごす喜びも、老いてなお健康に生きる喜びも彼らには許されて
いないのである。ピクウィック氏とジョーが体現するこの健全さと不健全さと
は、一見正反対に思えても、作者と同時代の読者が憧れながらも手を出せなか
った快楽だったのだ。
一九九二年度総会における講演・朗読
コリンズ先生の横顔
司会 山本史郎
東京大学教養学部教養学科のイギリス科の外人講師としてコリンズ先生に来
ていただいたのは、かれこれ五年前のことになる。前任地はポーランドの大学
で、英文学を教えておられた。日本に来るのは始めてということであったが、
世界各国で教鞭を取られた経験が豊富なこともあり、すぐにわがイギリス科の
スタッフに溶けこんで、学生の指導に、また教員の啓発にご協力いただけたこ
とは幸いであった。
お生まれはイギリス、年齢のことは余りお話しになりたがらないが、マンチ
ェスター大学の学生だった頃、リバプールで一夏過ごしたときにビートルズの
誕生を目の当たりにしたということらしいので大体の想像はつく。その後、ア
メリカのインディアナ大学で学位をとられた。専攻は主としてイギリスの小説
と詩である。
この四月に中央大学法学部に移られたが、それまでの四年半にわたる駒場在
任中、主に担当されたのは文学を中心とするイギリスの地域研究であったが、
とりわけ私をはじめとして日本人スタッフに大きな感銘を与えたのは、学生の
卒論審査の時であった。イギリス科は地域研究が専攻なので、学生の関心は多
岐にわたる。経済、政治、文学を初めとして、教育、文化、それこそビートル
ズやはては北欧神話まで登場する。コリンズ先生はどんなテーマについて書か
れたものでも、丁寧に読むことはもちろん、論文としての構成・内容について、
じつに的確な質問やコメントを学生に与える。それでいて、聴衆としてコリン
ズ先生の講演をお聞きになった方にはおわかりかと思うが、決して声を荒げた
り皮肉な態度を取ったりということがなく、自説は自説としながらも、相手の
考えをよく聞いて理解してあげるという態度を崩さない。
同じことが、日本人スタッフの何人かと続けている読書会についても言える。
我々がどんなにとんちんかんなことを言ったり質問したりしても、決してそれ
をあたまから否定したりするというようなことはなく、常に相手の意見を尊重
するという姿勢が一貫している。私などの目から見ると、ビクトリア朝の小説
で説かれている美徳をまさに体現した、成熟したお人柄のように見うけられる。
(ちなみに私どもの周りを見渡した場合、アメリカ小説の日本人研究者にその
ような人間が少ないのは遺憾至極である。)
このようなコリンズ先生がお書きになったOur Mutual Friendについての論文
を読ませていただいたことがある。いかにもコリンズ先生らしく、大ぼらを吹
くことなく、あくまでも地味でありながら、テクストと事実の綿密な考証に支
えられた好論であった。今回の講演は、オーウェル、ディケンズという英文学
上の二個の大人格の交錯をテーマとしている。どんなお話しになるか楽しみで
ある。
オーウェルのディケンズ:あるエッセイとそのコンテクスト
アンガス・コリンズ
レイモンド・ウイリアムズの言うところに従えば、一個の人間としてオーウ
ェルを知る手がかりは、「アイデンティティの問題」であるという。アイデン
ティティを構成する一契機である「職業」はオーウェルにとって重要であった。
オーウェルは職業を通じて自己を定義する努力を一生行い続けた作家であるが、
オーウェルのディケンズ論は、その過程の中でもとりわけ重要な時期に書かれ
ている。しかし、このエッセイはただディケンズが果たした役割を定義づけよ
うとしているばかりでなく、落ち込んでいた評価をもう一度引き上げようとす
る試みでもある。その多様な文脈に着目すると、さまざまのものが見えてくる
だろう。エッセイの筆が起こされたのは一九三九年五月のことであり、一九四
〇年三月十一日、Inside the Whaleの中の一編として出版された。これは従って、
時代が次第に大戦へと傾斜していった歩みと軌を一にしており、終末論的なペ
シミズムに満ちたComing up For Air(一九三九)と愛国的な社会主義を取り上げ
たThe Lion and the Unicorn(一九四九)のあいだの橋渡しをするものとなってい
る。さらにまた、このエッセイはディケンズを批評的に再評価しようとする流
れを生み出すきっかけにもなった。その流れは、その後エドマンド・ウィルソ
ン、ハンフリー・ハウスと引き継がれて行くこととなる。このエッセイには歴
史が充満している――世界史も個人史も、それから、文学史もそれ以外の歴史
もここにある。
このエッセイのオーウェル個人に関わる面は、冒頭からして明らかである。
「ディケンズは盗むだけの価値がある何かをもった作家である。」ただし、オ
ーウェルはディケンズ賛に終始するわけではもちろんなく、さまざまな通説に
反する意見を提示してもいる。たとえば、小説というディケンズが用いた芸術
の一形式は「彼の才能にぴったりと合ったものではなかった」という一節など
注目に値する。しかも、同時にこれがオーウェル白身のことでもあるどいうこ
とに疑問の余地があろうか。しかしながら、オーウェルがディケンズを讃える
一番の理由は、ディケンズがモラリストであるということだ――ディケンズは
革命的と言っても、いわゆる通常の意味ではない「革命的」なモラリストであ
る、とオーウェルは言う。「今はやりの政治・経済的批評」においては、ディ
ケンズは土台から健全ではない、「現経済の仕組みが本来仕組みとしておかし
い」と言うことがまったくできていない作家である、といった非難を浴びせる
ことが通例であった。オーウェルはこれに真っ向から異を立てようとしている
のである。というわけで、ディケンズは「穏健な道徳無用論者である」とか、
本能的に虐げられた者に対する同情心があったなどと述べるときオーウェルは、
半ば自分のことを述べてもいるのである。というのも、このエッセイは評価を
剥奪された作家を擁護し、オーウェルと同じ立場の左翼の知識人たちがもって
いたディケンズに対する偏見を論破しようとするものであるからだ。ディケン
ズの圧倒的人気にたいする、反動としての揺り戻しは行き過ぎであると、オー
ウェルは明言する。
オーウェルはまた、全体主義に対する自らの戦闘にディケンズの力を借りよ
うとする。このような次第で、エッセイの結語部分になると、賞賛と同一化が
混然融合の呈を表してくる。ディケンズは「自由な知性の持ち主」であり、「立
場にとらわれない強い人間であった」ということになり、「我こそ正当と主張
する、様々の片寄った立場に加担する連中が等しく嫌うタイプの人間」である
と、オーウェルは主張するのである。同じく、ディケンズには「仕事の理想が
ない」と述べるとき、これも自己言及的である。「デイヴィッド・コバーフィ
ールドすら例外と言えるかどうかあやしいが、ディケンズの中心人物の中で、
仕事に一途の興味を抱いている人物は皆無である」、という。しかしここでオ
ーウェルが述べているのは、自分自身の仕事の理想である。この点で、オーウ
ェルにとってディケンズは、不完全な芸術家、がっかりさせられる作家ではあ
りながら、その一方で、反面教師的な役割をも果たしているのである。同時に、
オーウェル流のディケンズ、オーウェルが必要としているディケンズ、「いつ
も説教ばかりしていて」、いつも「何か伝えたいもの」をもっているディケン
ズというのは、オーウェル自身のモラリストとしての側面をディケンズの上に
投影しているのに他ならない。オーウェル自身が、「邪悪な時代」のなかで、
職業を通してなんとか自己を作り上げようとしているのである。
このエッセイの波紋として注目すべきものが、少なくとも二つ、ひょっとす
ると三つある。一つはハンフリー・ハウスとの手紙のやりとりである。(オー
ウェルの出した分については、Collected Essays, Journalism, and Letters, Iの中に収
められている。)これをみると、どうやらハウスが、仕事のテーマと、ディケ
ンズの「不満足」度について、オーウェルに対して反論したらしい。オーウェ
ルは第一の点に関しては先の意見を修正しているが、第二の点ではゆずらない。
「そのような資質がなかったはずがなく、むしろ現在のインテリにそれがなく
なっていることは憂うべきことだと思う」とオーウェルは述べている。第二の
波紋は、一九四〇年五月二五日、ロンドン、ヘイマーケットのコメディー・レ
ストランで開かれた、ディケンズ・フェローシップの総会でスピーチをするよ
う、招請がなされたことである。コンプトン・マケンジーによって「ディケン
ズの偉大さを認めた数少ない若い文学者の一人」という紹介を受けて、オーウ
ェルはエッセイであつかったテーマ――ディケンズ評価の現状とディケンズの
現代性――を簡単に振り返ったあとで、「ディケンズの人気が衰える心配はま
ったくありません。人びとが自分のことを大事に思い、ディケンズが常に目の
前に掲げていた理想を大事なものと思う限り、そのことは保証されています」
と、述べた。
三番目に、議論の余地があるところだが、このエッセイが、オーウェル自ら
の子供の頃の教育を描いた、有名な『本当に、本当に楽しかった』と関係があ
るかどうかどいうことである。このエッセイが書かれた正確な時期ははっきり
していない。一九四七年、あるいはもっと以前であろうか。オーウェルの伝記
を書いたバーナード・クリックは早い時期を想定している。「一九三八年後半
が、戦争がはじまってからの数年の間のいずれの時期でもありうる」という。
もしもクリックの言うところが正しいとすれば、このエッセイは単に、オーウ
ェルとディケンズの数多くの注目すべき接点(横暴な大人の振る舞いに悩まさ
れた経験、社会のへりに位置していた家庭の出であるという点、生涯カネの力
が意識から離れなかった点など)を指し示しているものというにとどまらず、
当時まさにオーウェルがディケンズを読みなおしていたという事実がこのエッ
セイを書く引き金になったということができるかも知れないのである。(文責
山本史郎)
朗読
司会北篠文緒
一九九二年秋の総会プログラムの後半ではロバート・ゴールディンク氏によ
るディケンズの作品朗読がおこなわれた。ゴールディンク氏は現在ベルリン自
由大学で英文学を講じておられるディケンズ学者で、Idiolects in Dickens: The
Major Techniques and Chronological Development(1985)等の著書がある。
氏から提案のあった朗読箇所は多数で、これでは日が暮れてしまうのではと
心配したが、実際にはそのなかからいくつかが抜粋された。『ピックウイック』
の三十三章、サムがラブレターを書くくだりをはじめ、江戸っ子弁ともいうべ
き歯切れのよいコク二−がことに印象的で、見事に再現される作品のなかに一
同時のたつのをわすれた。
なお、ゴールディンク氏が予定された箇所は左記の通りである。
Readings from Dickens
講師 : Robert Golding (Senior Lecturer, Free University, Berlin )
Sam Reads the Valentine (Pickwick Papers, Chap. 33)
Mrs Corney and Mr Bumble Have Tea (Oliver Twist, Chaps. 23 & 27)
The Artful Dodger at the Court (Oliver Twist, Chap. 43 )
Mrs Nickleby (Nicholas Nickleby, Chap. 27)
Mr Pecksniff Becomes lrrepressible (Martin Chuzzlewit, Chap. 8)
A Day with Cleopatra (Dombey and Son, Chap. 27)
Life with the Micawbers (David Copperfield, Chap. 12)
Tea with Mr Dorrit (Little Dorrit, BK I, Chap. 31)
Podsnappery (Our Mutual Friend, BK I, Chap. 11)
一九九三年春季大会研究発表について
司会 植木研介
今回の春季大会は、傘を手放せない雨もようの新潟大学で初めて開催された。
参加者も多く予想以上の盛会。
まず昨年の第一五回日本英文学会新人賞の佳作に入選され、意欲的研究を相
次いで発表中の小寺理砂氏が『クリスマス・キャロル』を、「スクルージの改
心の補助力となる遊びのエネルギーの復活」という観点から論じた。次いで日
本英文学会中国四国支部で幾度か研究発表されている大口郁子氏が『グレイ
ト・イクスペクテイションズ』を、「遺産相続の条件としてのピップの名の使
用」に着目し興味深い論を展開。詳しくはお二人の要約にゆずるが、時間の厳
しい制限枠の中にあっても、会全体として、特にピップの名をめぐって有意義
で活発な質疑応答が交され、論が深まったことを司会者として喜びとしたい。
A Christmas Carolにおけるディケンズの「クリスマスの奇跡」
小寺理砂
スクルージの改心の過程のバロメーターとなるのは、遊びのエネルギーや享
楽の精神である。そうした要素への讃歌がそこにあるのは、『キヤロル』の基
盤となる世界が、愉快で陽気で心和むクリスマスらしいエッセンスにのみ満ち
溢れた世界なのではなく、寒さや、貧困や、疲労や、あるいは死の影が、あち
らこちらに勢力をふるっている世界だからなのだ。スクルージの転身の可能性
は、この側面を認識するところにこそはじまる。我々の前に展開される彼の精
神世界は、不正、貧困、孤独など、現実の様々な要素を知る大人のそれであっ
て、決してそれらの「経験」の消去をもって、無垢な子供時代、すなわち彼の
精神世界の振出しへ変換されることはない。だからこそスクルージには、クリ
スマスの幻影における喜びの中に内包された哀しみや光の傍らに存在する陰が
見えるのであり、またそれゆえ彼は、そこに在る喜びや光の意味と重みを知る。
そして、経験を背景にもつ想像力をもってこそ、彼の内に起こる同情や共感は、
無垢な想像力が形成するアリババやロビンソン・クルーソーなどの空想世界の
喜びや恐怖や慰めを越えて、自己批判や慈善へと連結されるのである。つまり、
スクルージに起こった改心という「奇跡」は単純で純粋無垢な想像世界の産物
ではない。
その「奇跡」を成就させるための必要不可欠な補助力が、遊びのエネルギー
や享楽の精神でもある。ディケンズは、ボブ・クラチットやフレッドなどの大
人たちの姿を通して、それらの要素には人々の疲労した心に弾力と活気を回復
させる力があることを、我々に示す。そして、ありふれた娯楽の喜びを思い出
し、観察し、そしてそれを実際に体験するという作用の繰り返しのうちに、ス
クルージの改心は成就に向かうことができる。『キャロル』における「クリス
マスの奇跡」は、悲しみや不正を知る人々が、その人生の疲労感の中にあって
なおも、遊び・楽しみのためのエネルギーを発揮する時に実現されるファンタ
ジーであるとも言えよう。さらに、スクルージの改心というファンタジーのス
トーリー展開は、現実性の代名詞でもあるような"gold"という語をキーワードと
する。この作品中最初に登場する幽霊であるマーレイの幽霊が引きずる鎖は、
「金色のもの」に執着する守銭奴スクルージヘの最大の警笛として、「金を愛
することはあらゆる悪の根源である」(テモテ書)ことを表している。しかし
その一方で、この作品において金銭そのものが否定されているわけではない。
この小説のクリスマス・シーンが、寄付金集めに始まり、金や物品の寄贈とそ
の約束に終わっていることにも象徴されるように、スクルージの転身ぶりは、
金という要素を媒介とし、金という要素によって他者や世間に対してアピール
されているのである。寄付金集め、七面鳥、昇給などという要素が並ぶ彼の転
身物語からスクルージに起こった「奇跡」を読み取ろうとする時、このクリス
マスの物語に反復される「年に一度」という言葉は意義深い。「年に一度」と
いう言葉は、二重の意味をもって機能する。その日の特殊性の強調は、スクル
ージの転身の非現実性を、逆説的に「現実」のものとする効果がある。と同時
に、スクルージの転身は「年に一度」でもよい、ということにもなるのである。
彼の転身に示される「年に一度」の行為や感情の永続性が、重要な問題なので
はない。"gold"を得るのにひたすら心傾けていた人々が「年に一度」クリスマス
には"a heart of gold"をもって、雇い人や貧しい人々のために金を出す、という極
めて現実的な絵図がそこにある。
このように、悪から善へ心が入れ替わるだとか、夢物語的な慈善行為だとか
が、幽霊物語のファンタジーの枠組の中で描かれるこのクリスマスの読み物は、
地に足の付いた非常に現実的なフィルターを持っているのである。ディケンズ
の小説世界のエンターテインメントの部分と現実社会に則したメッセージ性の
部分とが、あるいは、純真な精神性と世俗性とが、彼のフアンタジーのテクニ
ックの中に効率よく融合し、互いの力を嫌味なく出しあっている例を、『キヤ
ロル』に見ることができよう。
Great Expectations――Pipと遺産相続の条件について
大口郁子
Dickensの作品では、名前はしばしば寓意的・象徴的意味を帯びている。例えば
Little Dorritに登場するTattycoramのネーミングなど、本人の生い立ち経歴を語り、
その性向まで決定してしまう典型的なものであるが、その他にも音のイメージ
や綴りの中に隠された語義などによって、名前がキャラクターの個性や特徴、
作品における役割まで表象する記号となっている例は数多く見られる。
さてGreat Expectationsでは、主人公のPipは遺産相続の条
件としてずっとPipという名前でいることを特に要求されている。一つの名前を
持ち続ける、というのは、過去から現在に至るその存在全てを持ち続けること
に他ならない。瓶詰めの工場の労働から逃げ出したDavid Copperfieldは、大伯母
の養子になると同時にTrotwoodと名前を変えているが、この改名は、Davidが
言わば生まれ変わって、過去の残滓を完全に拭い落としたことを表している。
ところが皮肉にもPipの場合は、過去の生活からの脱出に他ならないはずの遺産
相続の見込みに条件がついて、莫大な財力をもってしても結局Pip以外の存在に
はなれないことを示しているのである。
名前と共に彼は一体何を引き慴らねばならなかったのか。Pipというのは幼い
子供の回らぬ舌からついた呼び名であり、冒頭のシーンから、この名前が両親
を失くし、愛情の代わりに死と罪のイメージに取り巻かれて育った子供像と深
く結びついているように印象づけられるのだが、このPipの幼年時代は二つの大
きな体験に集約されている。一つは墓地での脱獄囚との遭遇である。恐ろしい
犯罪者と罪を共有している、という意識がPipの病的な罪悪感を増長しただけで
なく、長年の間この秘密を抑圧し続けた為に、成人してからもPipは犯罪や囚人、
牢獄に対する子供じみた、不条理な恐怖心に付きまとわれている。もう一つは
Satis Houseでの奇妙な生活で、ここで彼は初めて地位と財産の力を知り、特権
階級の歪んだプライドと金力の象徴であるEstellaの軽蔑を一種自虐的な卑屈さ
でもって受容する。
この二つの体験が、常に疎外感を抱き、囚人との秘密の絆に脅かされ、階級
的な劣等感に苛まれる少年の、複雑な内的生活を形作っている。紳士になりた
い、というPipの野心は、少年時代に植え付けられたコンプレックスの表れなの
である。ところが実際に送ってみた紳士の生活は、無為なだけでなく不安定で
充足感からはほど遠い。Estellaに対する劣等感も鍛冶屋の少年だった頃と変らな
いし、Joeに対して「慢性的不安定状態」から抜け出せず、さらに、沼地の監獄
船と絞首台の代わりに、Londonではニューゲートの暗いかげがPipの上にちら
ついている。
こうした過去の重圧は、環境の変化にもかかわらず、Pip自身が本質的に変っ
ていないことを示している。莫大な遺産相続の申し出は、Pipの夢を叶えて、彼
を完全に新しい紳士に生まれ変らせてくれる魔法のように思われるのだが、そ
うした期待が全て空しい幻想にすぎず、所詮昔のPipから逃れられない現実を、
Pipという相続の条件が暗示しているのである。そして、彼の紳士としての生活
と特権意識を支えていたのが、じつは彼の最大の恐怖の源だった脱獄囚であり、
しかも彼の最も崇拝していた偶像のEstellaが卑しい犯罪者の娘であった、とい
う事実を知るに及んで、Pipの空中楼閣は全壊する。
しかしながら、真相の暴露―逃亡―断罪という最後のカタリシスを、罪人
Magwichと共に経験することによって初めて、本当の意味でPipは幼年期に受け
たトラウマ――病的な罪の意識や、劣等感の裏返しである上流気取り、拝金主
義などから解放されるのである。そうしてみると、Pipの諸々のgreat expectations
と、その奇妙な条件とは、おそらく作者自身も味わったであろう、十九世紀の
上昇気流に乗せられたヴィクトリア人の不安と呪縛と解放を物語っているよう
に思われるのである。
講演司会者として
間二郎
司会は太田良子さんがなさるはずだったが、公務のご都合で間が緊急代行し
た。富山さんには三年ほど前の総会でも、「ディケンズとジャマイカ問題」と
いう話しをして頂いたが、今度は(なんと)「ヴィクトリア朝の引っ越し」、
要旨についての贅言は控えるが、文化史――社会史の一面としての『往』に関
わる側面を照らし出してくれたお話し、資料はいつもの通りたっぷり(B4びっ
たり七枚)、夏目漱石の下宿探しとそのメンタリティにも説き及ぶ。なお、講
演者の近著(含予定)を紹介すれば、このお話しの背景やら雰囲気やらも、フ
ロアーのレスポンスも見当がつこうというものだ『空から女が降ってくる―ス
ポーツ文化の成立』(岩波)、『コナン・ドイルの社会史』(青土社)、『ヴ
ィクトリア時代の歴史と文化』(同上)、『ニューヒストリシジムとは何か」
(みすず)、その他。
ヴィクトリア時代の引越し
富山太佳夫
奇妙な話かもしれないが、英語にはとくに〈引越し〉という行動のみをさす
言葉がないようである。普通に使われるmoveやremoveという語は、言うまで
もなく、さまざまの意味をもつわけで、決して引越しという意味に限定される
ものではない。十九世紀のイギリスの小説を読んでいると、それこそしょっち
ゅう引越しにぶつかるだけに、この欠落は奇妙な印象を残すのである。
歴史学の分野でも、この引越しというのは研究対象になりにくいらしい。歴
史学は人口の移動(地方から都市への移動、あるいは海外への移民)や住宅問
題には強い関心は向けても、引越し問題は素通りしてしまうようである。しか
し、イギリスの十九世紀の場合、貴族階級と中流階級の一部分を除いては、借
家、借間住まいであったわけだから、引越しという現象はいたるところで見ら
れたはずなのである。一体それはどのようなかたちで行われていたのだろうか。
この点を明らかにしようとすれば、さしあたりは実例の収集から始めるしか
ない。そのさいに文学作品は有力な資料となるのである。例えば『緋色の研究』。
名探偵ホームズとワトソン博士はどのような手続きをへて、ベイカー街二二一B
を借りているのか。さらにホームズ物語の他の作品に出てくる不動産屋はどの
ように仕事をしているのか。グロスミス兄弟の『凡人氏の日記』では、引越し
がどう描かれているか。引越し小説集と呼んでもいいギッシングの『蜘蛛の巣
の家』ではどうか。ディケンズの中篇「リリパー夫人の貸間」ではどうか。
そうした作品を検討してみて言えるのは、新聞などの活字メディアを利用し
た貸家・貸間広告も行われているものの、自宅の窓に広告のビラを出すかたち
が多いということである。しかも、最も一般的なのは、家具付きという形式で
ある。窓に出ているfurnished billとは、家具付きの空室ありの広告のこと。借り
る側はその広告をみて、家主と条件の直接交渉をするのである。
家賃の払い方はさまざまある。最下層の人々になると、一日毎に家賃を払う
というのもあるものの、労働者階級では週幾らというのが多い。ランクがあが
ると、月幾ら、三カ月幾らという払い方もみられ、小切手が使われることもあ
る。家賃の取り立て業というのもあったようで、『骨薫屋』に登場するクウィ
ルプはその仕事をしている。
今世紀の初めにロンドンに留学した夏目漱石も何回か引越ししているが、そ
れを分析してみると、彼とイギリスの文化の関わり方が見えてきそうである。
日本におけるディケンズ関係ならびにフェロウシップ会員の著訳書
要田圭治他訳 『ニュー・ヒストリシズム』一九九二年 英潮社
松村昌家著 『ヴィクトリア朝の文学と絵画』一九九三年 世界思想社
松村昌家編著(西條隆雄他著)『子どものイメージ』一九九二年 英宝社
宮崎孝一著 『クリスマス・カロル』一九九二年 村石日本語研究所
村石利夫著 『気になる漢字の超常識』一九九二年 広済堂出版
村石利夫著 『江戸難語辞典』一九九二年 村石日本語研究所
村石利夫著 『ヤマト王朝は海を越えてやって来た』一九九二年 KKベストセ
ラーズ
太田良子(共著)『アンジェラ・カーター・ファンタジーの森』一九九三年 勁
草書房
川本静子(共訳)『女性自身の文学』 E・ショウオルター 一九九三年 みす
ず書房
増淵正史訳 『暗黙の航海』一九九三年 宮城教育大学増淵正史研究室
三ツ星堅三著 『イギリス文学史概説――社会と文学』一九九三年 創元社
富山太佳夫著 『空から女が降ってくる――スポーツ文化の誕生』一九九三年
岩波書店
富山太佳夫編訳 『挿絵の中のイギリス』 リチャード・ドイル 一九九三年
弘文堂
吉田孝夫著 『ふるさと』一九九三年 晃学出版
編集後紀
今回も多くの方々から御知恵を拝借しました。特に表紙の絵では、西條先生
から貴重な資料(Charles Dickens Rare Print Collection)を提供していただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。なお、印刷所が「Mミック」に変更になっ
たことを付け加えておきます。(青木)
ディケンズ・フェロウシップ日本支部
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