ディケンズ・フェロウシップ会報 第十八号(1995年)

The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. XVIII

発行:ディケンズ・フェロウシップ日本支 部

ディケンズ・フェロウシップ日本支部
1994年度総会

日時:1994年10月8日(土)午後2時より
会場:東京女子大学文理学部1号館第1会議室

総会 (2時一2時30分)
研究発表(2時30分一3時30分)
「Martin Chuzzlewit における医術と詐術」
成躁大学 村山敏勝
特別講演 (3時45分一5時)
「19世紀南ロシアに実在した“ピックウィック・クラプ”」
工学院大学 今井義夫 (近代ロシア史専攻)


1995年春季大会

日時:1995年6月3日(土)午後1時30分より
会場:京大会館 210号室

1. 開会の挨拶(13:30−13:45)
ディケンズ・フェロウシップ日本支部長 小池滋
2. 研究発表(13:45−14:45)
司会者:佐々木徹(京都大学)
発表者およぴ論題
(1)崎村耕二(高知大学)
 「Great Expectations における階層と職業」
   --「輪」と「層」の観点から--
(2)田辺洋子(広島経済大学)
 「Our Mutual Friend における“mutuality”」
3. 講演(15:00〜17:00)
司会者:松村昌家(甲南大学)
講演者:Michael Slater(ロンドン大学)
“Creative Anger,Creative Writer:
Dickens the Journalist and Dickens the Novelist”


マイケル・スレイター先生日本滞在記
--Professor Michel Slater in Japan--

佐々木徹

 さる五月十四日から六月十一日にかけて、元国際ディケンズ・フェロウシッ
プ会長であり、一九六八年から十年の長きにわたって『ディケンジアン』の編
集者を勤められたロンドン大学のマイケル・スレイター教授がブリティッシ
ュ・カウンシルの招聘により日本を訪問されました。Dickens and Women など多
くの著作で知られる先生は、そのユ-モアに溢れた極めて親しみやすい人柄でも
って、行く先々で多くの日本のディケンズ研究者を激励、触発してくださいま
した。先生の来日は二回目のもので、前回は一九七九年、ディケンズ・フェロ
ウシッブ日本支部の招待によるものでした。古いメンバーの方は覚えておられ
ることと思います。今回は京都大学を拠点に、東京、名古屋、神戸、広島の各
地の大学を講演して回られました。主に「ディケンズとロンドン」と題するス
ライドを交えた話をされましたが、巧みな話術とあいまっ て、非常に好評であ
った、と伺っております。京都のフェロウシップ春季大会の他にも、東京では
柏書房の主催で日本出版クラブ会館に於いて初期の『パンチ』に関する興味深
い講演をされました。京都大学では『大いなる遺産』を取り上げて週一回、計
四回の大学院セミナーを担当していただきましたが、「やさしくてめちゃめち
やおもろい」と学生諸氏には大好評でした。ここでは徒に自分の意見を押し付
けるのではなく、忍耐強く学生の言うことを聞いてその長所を引き出そうとす
る先生の秀れた教育者としての側面を垣間見ることができました。さらに京都
ではやはり週一回、計四回、関西在住の研究者を集めてセミナーを主導してい
ただきました。『オリヴァー・トウィスト』、『マーティン・チャズルウィッ
ト』、『リトル・ドリット』、『無商旅人』と毎回異なるディケンズの作品を
対象に活発な議論が展開されました。(と言いたいのですが、しかし実はおお
むねスレイター先生の独壇場であったような気がします。)フェイギンがバン
ブルとは対照的に如何にオリヴァーに対して腐敗的な力を持ち得るか、またナ
ンシーの殺害を契機に如何にこの小説の非現実的な要素が支配的になっていく
か、ペックスニフやギャンプというキャラクターが如何にベン・ジョンソンの
ヒューモア喜劇に負っているか、『リトル・ドリット』に於いて如何に(『新
約聖書』の)キリスト教が重要な要素であるか、『無商旅人』所収の「夜の散
策」が如何にて、非常に好評であった、と伺っております。京都のフェロウシ
ップ春季大会の他にも、東京では柏書房の主催で日本出版クラブ会館に於いて
初期の『パンチ』に関する興味深い講演をされました。京都大学では『大いな
る遺産』を取り上げて週一回、計四回の大学院セミナーを担当していただきま
したが、「やさしくてめちゃめちやおもろい」と学生諸氏には大好評でした。
ここでは徒に自分の意見を押し付けるのではなく、忍耐強く学生の言うことを
聞いてその長所を引き出そうとする先生の秀れた教育者としての側面を垣間見
ることができました。さらに京都ではやはり週一回、計四回、関西在住の研究
者を集めてセミナーを主導していただきました。『オリヴァー・トウィスト』、
『マーティン・チャズルウィット』、『リトル・ドリット』、『無商旅人』と
毎回異なるディケンズの作品を対象に活発な議論が展開されました。(と言い
たいのですが、しかし実はおおむねスレイター先生の独壇場であったような気
がします。)フェイギンがバンブルとは対照的に如何にオリヴァーに対して腐
敗的な力を持ち得るか、またナンシーの殺害を契機に如何にこの小説の非現実
的な要素が支配的になっていくか、ペックスニフやギャンプというキャラクタ
ーが如何にベン・ジョンソンのヒューモア喜劇に負っているか、『リトル・ド
リット』に於いて如何に(『新約聖書』の)キリスト教が重要な要素であるか、
『無商旅人』所収の「夜の散策」が如何に他の小説に見られる様々なテーマを
内包しているか、等々の問題についてまことにエネルギッシユに、そしてドラ
マディックに(これが先生の真骨頂ですが)語っていただきました。ディケン
ズを隅から隅まで知り尽くしているという先生の知識は勿論ですが、何よりも
ディケンズを愛するその熱意の深さに感銘を覚えなかった参加者はいないと思
います。
 このように非常に精力的なスケジュールをこなされたわけですが、その合間
を縫って同様に精力的な観光もなさいました。特に東京では阿佐ケ谷の芸術家
風で閑静な家並みがいたく御気に召され、京都では比叡山を借景にした円通寺
の庭に賛嘆を惜しまれませんでした。ディケンズがそうであったように、演劇
に対する強い情熱を持っておられる先生は文楽と歌舞伎を観賞されましたが、
特に歌舞伎が気に入られたようです。「歌舞伎こそはまさしくヴィクトリア朝
メロドラマである。もし自分の学生が十九世紀の演劇を勉強したい、と言った
ら、私は即座に日本の歌舞伎を見なさい、と薦めますよ」と先生はおっしゃっ
ておられました。
 健啖家の先生は日本食も、上は「鰻のかば焼き」から下は「肉じやが」まで、
これも精力的に召し上がられました。数年前には体重過剰で足を痛められ、お
かげでダイエットを余儀なくされておられましたが、異国の食物はどうやら別
のところに収まるようです。
 十五年前に比べて日本には英語のサインが著しく増えた、と驚いておられま
したが、京都駅前のパチンコ屋のドアに書かれてあった「俳句」にはただなら
ぬ感動を覚え、手帳にこれを書き留められました。次に先生の許可を得てその
句を転載します。

With us everyday is a festival
Let's have some fun
Our Hearts beat with joy.

 「わび」も「さぴ」もありませんが、そのほとんどディケンズ的グロテスク
とでもいうべき英語のレジスターの混合が先生のユーモアの琴線に触れたに違
いありません。
 さて、楽しく充実した日本での滞在を終えてロンドンに帰られた先生は現在
進行中のディケンズのジャーナリズムの編集作業に加えて、教室主任という責
務とたまりにたまった学生の答案やエッセイの重みにあえいでおられます。最
近の御手紙によりますと、「こんなことなら日本に残って毎日テンプラを食べ
ていたかった」そうであります。



インターネット上のディケンズ
-- Dickens on the Internet --

松岡光治

 インターネットを利用した文学研究が陸続と紹介される中、猫も杓子もイン
ターネットに走り、電子の網にかかって抜け出せなくなるようです。「猫に小
判」とならないように、春から始めた私も試行錯誤しながら、ディケンズ研究
に有益なものはないものかと模索しています。ディケンジアンの中にはコンピ
ュータ歴の長い方や授業でC言語を教えておられる方もおられますが、これか
ら始めてみようという方のために少し現状を報告してみます。使用するソフト
はすべてフリーウェアで Macintosh の場合です。

(A)電子テキスト(e-texts)を読み込んて保存する

 Mosaic や Netscape といった WWW 用のソフトや、Fetch というファイル転
送機能(FTP)を持つソフトを使って、英米の図書館などへアクセスして取り込
みます。以下、ディケンズの作品(現在は Carol, Chimes, Cricket, HT, TTC, GE が
利用でき、OT, OCS, BR, ED は許可が必要です)がある主なアドレスを列挙し
ます。インターネットを始める時は WWW/FTP/Gopher/UseNet などから使うの
が普通ですが、各種サーバの一覧については The Internet Yellow Page (NRP) とい
う便利な本があって、日本語版(ソフトバンク)もあります。
@Project Gutenberg  このホームページの下
にある Jpn/Yasuda U. (安田女子大学のP. T. Ervin 氏の作成)の圧縮されたテ
キストを ZipIt というソフトで解凍した方が、長編小説の場合は海外から読み込
むよりも時間を節約できます。
AAlex  
http://www.lib.ncsu.edu/stacks/alex-index.html  (→ On-Line Books Page)
BVoice of the Shuttle  
http://humanitas.ucsb.edu/shuttle/english.html
CWonderland  
http://www.wonderland.org/
DBerkeley OCF Online Library  
ftp.ocf.berkeley.edu 
EOnline Book Initiative ftp.std.com/ (→ obi)
*電子テキストを持つサイトの一覧表として、例えばGopher Menu  
gopher://dept.english.upenn.edu:70/11/E-Text/Elsewhere  があります。
*OTA (Oxford Text Archive) には千四百以上のテキストがあり、電子メール
(email) archive@vax.ox.ac.uk へ全
カタログを請求すれば、すぐにファイルリストと利用の手引きが届きます。
*次に挙げるアドレスはディケンズの検索ができる所です。
FYahoo http://www.yahoo.com/
GWeb Crawler http://webcrawler.com/
HModern English Collection  
http://etext.lib.virginia.edu/modeng.browse.html (Non-UV a users)
IVeronica gopher://veronica.uni-
koeln.de:2347/7
*面倒だと思う方には、ディケンズの全作品を収録した Macintosh 用のCD-
ROM (The Complete Dickens [Bureau of Electric Publishing Inc., 
USA; Microinfo Ltd., UK]) が七千円で売っています。

(B)電子テキストでコンコーダンスとインデックスを作成する

 WWW や FTP あるいは CD-ROM でデキストを保存すれば、KWIC (俗称 
QUICK) コンコーダンスとインデックスが即座に(Carol なら二十秒、GEなら
二分で)完成します。長編小説の場合は、テキストの読み込みもコンコーダン
スの作成もメモリの使用サイズを増やしてください。作成には Conc というソ
フトが必要ですが、anonymous FTP  でダウンロードできます。最
新の Conc1.76 が必要な方には、その他のソフト(ZipIt/UnZip/YooEdit など)と
一緒に電子メールに添付して送らせていただきます。

(C)メーリングリストによる電子会議に参加する

 これは世界中の研究者が情報または意見を交換するために電子メールの送受
信で参加する電子会議室システムです。ディケンズに関しては UC Santa Barbara
のPatrick McCarthy 氏が主宰する Charles Dickens Forum (会員四百数十名、日
本人五名)があります。電子メールをメーリングリストのサーバ機に送信する
と、そのメールが白動的にすべての会員に配布される仕組みで、会員は質疑応
答・会議案内・論文請求・新刊情報・その他ディケンズに関することなら何で
も送信できます。宛先は 
list-serve@ucsbvm.ucsb.edu で、Subject は空欄にして、
本文に SUB DICKNS-L Your Name(Eが抜けている点に注意)を入力しで送
信するだけで、すぐに申請受諾のメールが届きます。詳しくは UC Santa Cruz の 
John O. Jordan 氏が主宰するDickens Project (毎年八月の初句に Dickens 
Universe という一週間の大会があります)のホームページ 
http://hum.ucsc.edu/dickens/index.html を御覧ください。隣の VICTORIA 
listserv@iubvm.ucs.indiana.edu 
という会員千百五十名を超える十九世紀イギリス研究のリストは非常に盛況で、
ディケンズも議題に上がりますが、連日数十通のメールが届くので臨機応変の
情報処理が必要となります。

(D)電子ニュースを購読あるいは技稿する

 インターネットの掲示板にあたるネットワークニュースを読むために 
NewsWatcher という UseNet のリーダ用ソフトを起動します。現在四千二百以
上のグループがあり、例えば bit.list-serv.literary 
 の欄にはポーツマス大学の Philip Trew 氏による来年度の「第九十回ディ
ケンズフェロウシップ国際会議」の案内 http://www.port.ac.uk/dickens/ があり
ます。その他、パリンドローム (e.g. No mists reign at Tangier, St. Simon.) やイギ
リス社会の文化 soc.culture.british など種々
雑多な記事があって、気晴らしをするには最適です。投稿の方は少し慣れてか
らするのが無難だと思います。

(E)書誌デークペースに接続して文献の所在を確認する

 Telnet (遠隔地のホストコンピュータにリモートログインするためのソフト)
を使って検索できる公開図書舘の例を挙げます。
@Cambridge ipgate.cam.ac.uk (login → 
uk.ac.cam.ul) or cambl.ixi.ch
AOxford library.ox.ac.uk
BHarvard hollis.harvard.edu
CCalifornia melvyl.ucop.edu
DTokyo library.lib.u-tokyo.ac.jp
ETsukuda anzu.cc.tsukuba.ac.jp 
FWaseda wine.wul.waseda.ac.jp

(F)電子メールを使って「手数科なしで」書籍を注文する

 無論 FAX でも可能です。VISA などのカードを使って購入する方法ですが、
最初にメールで資料請求した方がいいでしょう。
@Blackwell's (Oxford)  
http://www.blackwell.co.uk/bookshops/
email  
blackwells.extra@blackwell.co.uk fax 001-
44-01865-261355
ASeminary  Coop Bookstore (Chicago) 三十ドルの株の購入が必要です。
email books@semcoop.wwa.com
fax 001-1-312-752-8507
*日本国内でも(株)ダイイチがインターネット販売をやっていますが、三割
の手数料が必要です。会員は五%オフで、五十ドル以上の申し込みについては
送料無料となっています。
Telnet carp.dbs.daiichi.co.jp
fax 082-240-3111
email assist@book.daiichi.co.jp
 以上、簡単に述べましたが、まだまだインターネットには多くの利用価値が
あります。その他の方法やディケンズ関係の有益なサイトを御存じの方は、メ
ール j45870a@nucc.cc.nagoya-
u.ac.jp か、電話 <052-789-4864> で御教示いた
だければ幸甚です。私の所属する大学 http://www.nagoya-u.ac.jp の言語文化部
でも今秋よりワークステーションを立ち上げ、情報を発信することになりまし
た。店を構えても商品の質が悪ければ何の価値もないことは言うまでもありま
せん。結局は提供して恥ずかしくない論文や資料の作成が重要なのだと改めて
深く自省する今日この頃です。



一九九四年度総会

研究発表

『マーティン・チャズルウィットの医術と詐術』
"Quakery in Martin Chuzzlewit"

村山敏勝

 『マーティン・チャズルウィット』には看護婦ギャンプ夫人を始め、医師、
薬剤師らが何人か登場する。しかし彼らの治療が有効であるようには見えない。
ベヴァンは内科医でありながら実際の医業に携わらず、ギャンプの治療はおぞ
ましく、ジョプリングは詐欺師であり、老マーティンはけっして医師を信用し
ない。この作品は一八四〇年代という、医師制度改革のただなか、看護婦改革
の前夜に書かれており、作中にはそのような時代背景を示す箇所がいくつも見
られる。しかしディケンズは、十八世紀的な医療制度と、雑誌『ランセット』
やフローレンス・ナイティンゲールが先導して生まれてくる、新たに統制され
た近代医療制度とを対比させようとはまったくしない。前近代的民間医療を体
現するギャンプと、病院付きの看護婦として新たな秩序に属するプリッグとの
あいだに、性質や看護法の大きな違いはない。医師の免状を持ち上流階級に出
入りするジョブリングは、ギャンプとはべつの世界の住人だが、どちらの治療
も信用できない。
 こうしてこの作品に現れている医学への敵意を説明するのに、小説家ディケ
ンズは医学に対して一種のライヴァル意識を燃やしていたのではないかという
推測が成り立つ。十九世紀半ばという新興プロフェッショナル階級の台頭の時
代において、小説家と医師は新たな時代の代表者としての座を争っていたので
はないか。ここで争点となるのは、医学と文学のどちらがより良い真理を獲得
できるかという認識論的問題である。
 『マーティン・チャズルウィット』では、真理の獲得法は二つあげられてい
る。うち、いっぽうはペックスニフ、ジョブリングら詐欺師たちが操る「自明
の論理」である。彼らは『臨床医学の誕生』のフーコーが革命期の臨床医学を
定義していった「唯名論的認識論」に従っているともいえる。ペックスニフの
みかけは道徳的であり、ということは彼はもちろん道徳的である。ジョプリン
グは、雨雲を見て雨が降ると予報する。彼らの論理では、表面に現れた現象と
それが示す性質とは一体のものであり、齟齬も矛盾も一切ない。内面と外面、
言語と実体は一体化する。ディケンズはこうした論理を椰楡し、かわって探偵
小説的な真理の獲得法--表面はまやかしであり、その内奥を暴くことによって真
理が得られる--を対置する。しかし殺人事件解決の際の「おそるべき真理がまぼ
ろしの形となって現れる」といった表現に見られるように、内奥の真理は奇妙
にあいまいな形をとる。むしろ表面の深層とのずれ、揺らぎこそがこの小説で
は真理として提示され、である以上、むしろペックスニフやジョプリングの単
純な真理生産法のほうがより分かりやすく、人を説得しやすい、偽りであるに
しても強力な装置なのである。
 ディケンズが直面するパラドックスは、ベックスニフの装置が完全に言語的
なものであることだろう。この「自明の論理」においては、記号の指示対象と
のあいだの軋礫は一切なく、言語はみごとに自立している。これは文学がもっ
とも強力になった状態といえようが、ディケンズはこれを自ら否定して、記号
と現実はぶつかりあい、けっして幸福に一致はしないという、むしろ医学を含
む経験科学の側の論理を弁護するのである。しかし小説があくまで言語の産物
である以上、作家が使える武器は言語しかなく、経験的実体を示すことはけっ
してできない。こうしてディケンズは、医学と競合しようとしながら敗れる運
命にある。この敗北を隠すために、『マーティン・チャズルウィット』には優
れた治療と正しい認識を備えた医師は登場せず、その代わりジョブリングがむ
しろ徹底した言語の人であることによって、医学を貶める役を担っているので
ある。



南ロシアに実在した「ビックウィック・クラブ」について
"Nicholas Ballin and Pickwick Club in Ekaterinolav, the Ukaraine (South Russia), 1856-
1860."

今井義夫

 イギリスの文豪ディケンズの文学と思想が十九世紀後半のロシアに与えた影
響については、ロシアや欧米の文学研究者の研究はあるが*、日本では余り知ら
れていない。
 ロシア社会思想史と英露文化交流史に関心を持つ筆者は、南ロシア(現在の
ウクライナ)のエカテリノスラフの町に一八五〇年代未に実在した「ピックウ
ィック・クラブ」についての調査を続けている。ディケンズの作品の名称を冠
したこのクラブの指導者は、ニコライ・ペトローヴィチ・バーリン(一八二九
〜一九○四年)というロシア生まれの貴族出身インテリゲンツィヤで、当時エ
カテリノスラフの元老院の法律事務所に勤務していた役人であった。彼のディ
ケンズとの出会いは一八四一年、彼がまだ十二歳の頃、首都のサンクト・ペテ
ルプルグの家に住み、法律専門学校への入学試験勉強をしていた時期にさかの
ぼる。父が彼のために雇った家庭教師は、後にロシアにおけるディケンズ文学
の翻訳の第一入者となったイリナルブ・イワノヴィチ・ヴヴェジェンスキー(一
八一三〜一八五五年)で、当時サンクト・ペテルプルグ大学の聴講生として苦
学していた。ニコライ少年はこの時の縁で、後にディケンズの文学作品に強い
関心を持つようになったのである。
 バーリンは六年間の法律専門学校の寄宿舎生活のなかで、改革派のペトラシ
ェフスキー・グループに近い友人たちとの読書や討論を通じて反体制思想を育
まれる。彼が友人たちと共に当時熱中したのはルソー、フーリエ、ベンサム、
ゲルツェンなどの著作であった。彼が「ニヒリストの首領」と呼んだ旧師ヴヴ
ェジェンスキーの影響もあろう。ロシア政府は一八四八年の西欧の革命運動の
波及を恐れて検閲を強化し、ペトラシェフスキー・グループのメンバーたちを
逮捕したが、その中にはドストエフスキーやバーリンの法律専門学校の三人の
友人たちも含まれていた。彼らは僻地への流刑や軍役に送り込まれた。**
 一八四九年に法律専門学校を卒業したバーリンは元老院の事務局に勤め、一
八五四年からは元老院のシンピルスク地方事務所に法務調査官として派遣され
た。ここでバーリンは地元の改革派の青年たちと啓蒙活動を組織し、非合法な
読書や創作を試みている。しかし、翌一八五五年にはウクライナのエカテリノ
スラフという町の元老院事務所に転勤させられる。彼はこの町に一八六〇年ま
で滞在しているが、当時ロシアは、農奴制の改革の前夜で、専制や農奴制の廃
止をめぐる激しい政治的な対立と論争が繰り広げられていた。
 バーリンはその間、地元の友人たちと「自己完成」を旗印とする啓蒙主義的
サークルを組織し、やがてこれをディケンズの作品に因んで「ピックウィック・
クラプ」と名づけたのである。そのメンバーは二十人くらいの地元の青年イン
テリゲンツィヤであった。
 このクラブの特色は、道徳性と実践の重視である。その綱領によれば、クラ
ブの一人の首長(グラーヴヌィ・ピックウィック・パトリラーフ)中心に統合
され、徳の実現を目指す機関である(第一条)。会員の義務としては「徳を信
じ、神を敬い、人と和し、平和を愛するけれど、悪を許さない」(第一条)。
そして「すべてのピックウィック会員は兄弟であり、血縁よりも強い信念に基
づく兄弟である」(第二条)。会員は「強固な確信と頑固さと不屈さを持って、
整然と前進するために学ぶ」(第三条)のであり、「徳への確信に従って、す
なわち、地上での徳の完全な実現をひたすら信じ、その願望に従って生きて行
くのである。」(第十条)。会員は「悪と怠惰を僧む故に戦いを愛す」(第六
条)と規定され、同時に「ピックウィック・クラブ会員は詩と酒と女性を愛す」
「愛の機関」(第五条)とも規定している。会員は十日に一度、もしくはそれ
以上の回数の寄合を持ち、そこで共通の目的のために一緒に働き、また休息す
る(第四条)。会員は毎年、各自の文学作品を発表する(第八条)、そして、
会員の間では民主的な「情報公開(グラースノスチ)」を原則とする(第八条)。
 この規約を見るかぎり、その性格は十八世紀のロシアのフリーメイソン(マ
ソン)の伝統を受け継いでいるように思われる。ディケンズからの影響は民衆
の側に立ち、文学創作活動を通じて社会的不正を摘発して、民主的な社会の実
現を目指したことであろう。
 バーリンはこのクラプの首長として、地元の進歩的な青年会員たちと共に、
主に貴族地主や官吏や悪徳商人たちの不正行為を糾弾する暴露文学作品を書い
た。これを国内の文芸雑誌のみでなく、当時ロンドンに亡命中のゲルツェンの
自由ロシア出版所にまで投稿した。それらが採用され掲載されると、エカテリ
ノスラフの支配層は大恐慌を来し、州知事は中央政府に強硬な処罰を行うこと
を要請した。一八六〇年未にクラブのメンバーは町のホテルで暴露文学の成功
の祝杯をあげたが、怒り狂った地元の支配層はバーリンを貴族会から除名した。
間もなくバーリンはコストロマーへの転勤を命じられ、他の有カメンバーも町
を去って、「ピックウィック・クラプ」は消滅する。その後、バーリンはハリ
コフに転出し、官を辞してその地で協同組合運動の指導者として献身的な活動
を続けた。彼の名は今日、ロシア・ウクライナの協同組合運動の先駆者として
知られている。***
〔注)
* 例えばソビエト時代の一九六二年にモスクワの国立外国文学研究所からユ
ウ・ヴィ・フィレンデルとイー・エム・カタルスキー著『チャールズ・ディケ
ンズ:ロシア語翻訳文献目録、一八六三〜一九六〇年』が国立出版所から出版
されている。また一九六六年にはソピエト科学アカデミー世界文学研究所から
上記のカタルスキーによる『ロシアにおけるディケンズ:十九世紀中葉』が発
刊された。欧米の文学史家によるディケンズとロシア文学との影響関係の研究
としては、例えばディケンズのドストエフスキーへの影響研究のモノグラフィ
ーとしてエヌ・エム・ラリー(一九七三年)、エル・マックパイク(一九八一
年)を挙げることができよう。ディケンズのロシア文学への影響は、従来わが
国で知られていたよりも早くかつ深いものがあった。
** 私自身がロシアやイギリスの図書館で閲覧できたディケンズのロシア語へ
の翻訳・紹介の文献は一八三八年にまでさかのぼる。当時のロシア文学はプー
シキン以後のロシア自然主義文学の開花期であり、ゴーゴリ、トゥルゲーネフ、
ドストエフスキー、トルストイ、ゴンチャローフ、サルトィコフ=シチェドリ
ンなどを輩出した時期である。これらのロシア文学の巨匠たちは、多かれ少な
かれ当時のディケンズ文学の影響を受けたといわれる。とりわけ、ディケンズ
の文学の庶民性、社会性に触発されて、ロシア独自の批判的リアリズム文学が
形成される。この文学運動に影響を与えた批評家、ヴェー・ゲー・ベリンスキ
ーとエヌ・ゲー・チェルヌィシェフスキーが共にディケンズ文学に高い評価を
与えていた。
*** 拙稿「ニコライ・バーリンと国際協同組合運動…ウクライナとイギリスの
アルヒーフ資料をもとに…」『ロシア史研究』第五十六号、一九九五年三月所
収、参照。



一九九五年春季大会

研究発表

司会 佐々木徹

 今回の春季大会は、あいにくの厳しい雨にもかかわらず、百名近い出席者を
得て大変賑やかな会であった。この大入りの聴衆に応えるかのように二つの研
究発表はいずれも腰のすわった力作で、極めて有意義な一時間が過ごせたこと
を司会者として喜びたい。詳しくはお二人の要約に譲るが、崎村氏は『大いな
る遺産』の登場人物の職業を軸に作品の社会的背景を考察し、田辺氏は『彼ら
が共通の友』のテクストの字句に密着した級密な読みを展開された。期せずし
てお二人が対照的なアプローチをとられたことはプログラムに歓迎すべき変化
をもたらしてくれたと思う。



Great Expectations における階層と職業
--「輪」と「層」の観点から--
Class Structure and Occupation in Great Expectations: Concepts of Loop and Strata

崎村耕二

 階級の概念を念頭に置かないで十九世紀英国の小説を読むことは難しいが、
多くの作品は必ずしも階級意識をテーマにしているわけではない。『大いなる
遺産』は、階級意識を明確に(あるいは露骨に)提示しているという点で興味
深い。しかし、治安当局の側からみたカフーンの階層図や社会主義プロパガン
ダのビラに見られるような階層間の断絶・対立という意識は、少なくともこの
作品の基調概念には無いと思われる。この事は、この作品と『オリヴァ・トウ
イスト』における階級の概念を対照してみれば一目瞭然である。後者は、プラ
ウンロウを中心した上層と、フェイギンを中心とした最下層とから成る単純な
対極的層構造であり、この二つの層は決定的に対立し、本当の意味の交流・交
渉を欠く。オリヴァは、両者の間をほとんど偶然に行ったり来たりするだけで
ある。最終的に彼は(当然ながら)上層に受け入れられハッピーエンドで終わ
るのだが、本質的には何も解決されていない。それに対して、『大いなる遺産』
は、上下のダイナミックな動きを伴った環状階層構造をとっている。
 ここで、中世の運命の女神の図にみられるような輪の概念をこの作品の階層
構造に重ねて見よう。運命の車輪の上にいる者たちは、女神の操作によってい
とも簡単に上下へ動く。輪の上にいる限り、上昇と同じ力学で下降があり、下
降と同じ論理で上昇も有り得る。それと同様のことがこの作品でいとも簡単に
行われる。鍛冶屋の少年を common と呼ばわる当の本人は、実は、もと浮浪者
を父にもち、最下層の殺人容疑者を母に持つことが明らかにされる。最下層に
いた者が上層の資産家の家とたやすく養子縁組をし、common labouring boy が、
棚ぼた式の財産を得て紳士になってしまう。さらに詳しく見れば、この作品が
形作る世界は、現実の階層を忠実に活かしたものではなく、上層が頭打ちにな
り、下層が下から迫りあがる構造をとっていることがわかる。詳しく説明して
みよう。最上層はハヴィシャムで、あたかも女王のように扱われる。しかしデ
ィケンズは、彼女の父親をビール造りに設定した上で、「ピール造りがどうし
て紳士なのかわからんが」とハーバートに言わせている。(この点、伝統的に
英国では地方の名士にピール造りが多かったこと、なども検討が必要。)この
父親はお雇い料理人と再婚したが、階級的プライドのためにそれを秘密にして
いた。またマシュー・ポケットは紳士ではあるが、妻の期待にもかかわらず階
級的上昇に成功していない。ベリンダの父は、偶然ナイトに叙せられた人であ
り、彼女は、祖父が准男爵になれたはずだという幻想にとらわれている。また、
ドラムルは准男爵の「三番目の跡継ぎ」である。(准男爵は common のトップ
ではあるが貴族ではない。)このように、上層の人たちは皆パッとしない。頭
打ちなのである。下層に目を向けると、ピップもエステラもダイナミックな上
昇をする。マグウィッチは流刑の地で財産を築き、ピップを紳士にすることで、
仮想的な上昇を果たす。
 法律事務員ウェミックの上昇は、現実にそって描かれているという点で例外
的である。父親は、保税倉庫の仕事(リヴァプールからロンドンヘ移って来た
点に注意)をしていた労働者であるが、その息子はささやかなジャンプを試み
て事務員となり、しっかりその地位を守っている。ヴィクトリア朝前期には、
肉体労働者とホワイトカラー層の間にすでに深い溝があったとい,っハリソン
の指摘が正しければ、ウェミックがあれほど頑なに自分の事務員としての地位
を守り、「資産」を口にするのも頷ける。
 いずれにしても上下のダイナミックな動きは、作品の力学から見ると、天井
と床が中央へ引き寄せられるような形を生み出している。これはひしゃげた楕
円のイメージで説明できる。したがって、階層を表すのによく使われる従来の
梯子型のイメージとは大きく異なる。しかしながら楕円の輪は運命の車輪のよ
うに偶然的な力で回り、その上にいる者は必ず上下の動きの支配を受ける。こ
の作品が、ある意味では階級的悲劇と言えるのはそのためである。以上に加え
て、次のような不思議な呈示に注目してもよい。つまり、ピップが十年余りた
って故郷の村で知ったのは、ジョーとビディーの子供にピップという名前が付
けられているという事である。そういえば、ピッブの父親の名もフィリップ・
ピリップであった。また、姉の実名は結末近くになって初めて明かされる。母
親と同じジョージアナである。すべてはまたピップジュニアによって繰り返さ
れるのか。そんな読後感さえ生みながら、階級意識そのものに安易な解決を与
えず、絶対的方向性の喪矢つまり、上がることと降りること、進むことと戻る
ことが重なり合う構造を造り出し、人間の様々な局面を示す……これが、この
作品の興味深い点であると思われる。



『互いの友』における「相互性」について
--"Mutuality" in Our Mutual Friend--

田辺洋子

 "Our Mutual Friend" という表題にはどのような意味が込められているのだろ
うか。特にこの中の、"mutual" という語に着目し、作品における「相互性」を
検討することで、この題に新たな意義付けを行うことが小論の目的である。い
わゆる正統語法の "our common friend" を用いているのが、"Our Mutual Friend" 
の名付け親であるボフィン氏と好対照をなすラムル氏であること、又、"mutual" 
の語源は「交換する」の意のラテン語であり、これは作品のテーマの一つであ
る「変化」とも深く関わる語だとすれば、この語に今一度注目することも無駄
ではないだろう。
 "Our Mutual Friend" とは実際には、ポフィン氏がウィルファー夫人に対し、ロ
ークスミスのことを指して用いた表現だがその時の状況から判断すると、彼は
この語を糸口にロークスミスの情報を得ようとしているだけでなく、彼自身と
ウィルファー夫人との間の「相互性」を高めようとしているようだ。そうだと
すれば、この表現には単なる「共通の友」にはない、当事者二者間の「相互性」
の含蓄がありはしないだろうか。
 このような観点に立ち、個々の人問関係における「相互性」を堀り下げて行
くことにするが、"Our Mutual Friend" を含め、"mutual" という語の使用はかなり
限られているため、その語に準ずるものとして "influence" に焦点を移し、人間
同士が互いに及ぼし合う「影響」という点から、この問題の検討を続けてみた
い。この語は「変化」と密接なつながりを持つばかりか、その語源が「流れ込
む」の意であることから、作品を貫くテムズ川との関連も無視できない。しか
もこれは文字通りこの川に育まれ、清流のような心を持つリジーが特に価値を
置いていると同時に、他の登場人物もまた、重大な局面で口にする語でもある。
このような検討を進める中から、結論的には、リジーとユージーンとの間に、
互いの個性を尊重し、向上させ合う、最も建設的で自然な「相互性」が築かれ
ていると言えそうだ。人生に何の価値も目的も見出せないでいたユージーンは、
貧しい川さらい屋の娘リジーの「影響力」を受けることで、彼自身の中に眠っ
ていた行動力、決意、寛大さを目覚まされ、最後には、社会的因襲や通念の障
壁を乗り越え、彼女を「妻」とし、レイディーとすることで、自ら真の意味で
の紳士として蘇生することを許されるからだ。
 この「影響力」を焦点とした検討をより具体的にするため、さらに、実際に
「流れ込む」ものとして、「飲み物」と「言葉」を補足的に取り上げる。前者
では、特に二者問の「栢互性」を阻む混濁状態を象徴する "mutual" を、後者で
は、同じく、言葉の「分断化」に見られる負の要素と共に、膠着状態に陥った
二者間に投ぜられ、そこに新たな「相互性」をもたらす言葉の重要性を指摘し
たい。作者は最早、二者間の、彼らだけによる強固な結ぴ付きを信じられず、
そこに根本的な変質をもたらす仲介者の必要性を訴えようとしているのではな
いだろうか。
 この作品には、確かに、死や荒廃のイメージが充満している。しかしながら、
全体の流れは解体から接合ヘ、荒廃から再生へと向かっている。それは結末で、
ユージーンとリジーの結婚が、或いはトゥエムローによる、彼らの結婚におけ
る「相互性」の称揚そのものが、淀んだ社交界に動揺をもたらしたことからも
うかがわれるだろう。"Our Mutual Froend" とは広く、二者間に介在することによ
り、彼らの「相互性」を高め、より良き変化をもたらすもの、と定義され得る
とすれば、この名は正に、そのような作品を貫く主張を体現しているとは言え
ないだろうか。作者は敢えてこの語の多用を避け、逆にそこに柔軟性をもたせ
ることで、様々な様相の「相互性」を盛り込むことに成功している。



講演

"Creative Anger, Creative Writer: 
Dickens The Journalist and Dickens the Novelist"
by Prof. Michael Slater

司会 松村昌家

 司会者として一言……スレイター教授は、私たち日本のディケンジアンズに
もすでにおなじみの方である。少し古い世代だと、先生がかつて(一九六八 - 七
七)『ディケンジィアン』の編集長をつとめられたことをまず思い出すであろ
う。先生はまた Dickens and Women (1983) の著者、The Dickens Index (1988) の共
著者として知られ、数々の論集や作品を編集されたほか、目下は Dickens's 
Journalism(全四巻)、エヴリマン・ペイパーバック・ディケンズ(全二五巻)
の編集に携っておられる。
 先生の来日は今回が十六年ぶりの二度目。激しい雨の日であったにもかかわ
らず、会場はおよそ百名の聴衆で大変にぎわった。
 講演要旨……周知のとおり、チャールズ・ディケンズは、まずジャーナリス
トとして成功を収めた。そしてモニカ・ディケンズが言うように、彼は常に「ジ
ャーナリスト魂」(the soul of a journalist)をもった作家であり、その意味でウォ
ルター・バジョットが指摘するように「後世のためのすぐれた特派員」であっ
た。にもかかわらず、彼のジャーナリズムそのものに対して、十分な学問的注
意が向けられているとは、言い難い。再考を要する問題である。
 という前置きに続いて、スレイター教授は、「時代の動きを印象づける」と
いう意味で、最もジャーナリスティックな作品として『荒涼館』(一八五三)
を取りあげ、この作品が成立するに至るまでのジャーナリスト・ディケンズと、
小説家ディケンズとの相関関係がどのようなものであったかを究めたい、とい
うことで本論が展開された。
 ディケンズのジャーナリストとしての活躍は、一八三四年『モーニング・ク
ロニクル』の報道記者になったときから始まるが、その間に見聞したもろもろ
の出来事は、彼特有の鋭い喜劇的な観察眼を通して小説の題材へと転換される
ことになる。例えば、サフォクの選挙風景が『ピクウィック・ペイパーズ』に
おけるイータンスウィルの選挙風景として描かれているように。
 ジャーナリスティックな記事が小説の萌芽となった例は、『ポズのスケッチ
集』と『オリヴァー・トゥイスト』との間で顕著に見られるが、ここで注意す
べきは、例えぱ『スケッチ集』中の「人ぴとについて思うこと」や「質屋」、
「ジン酒場」などを通して、ディケンズの「憐れみと怒り」が入りこんできて
いることだ。
 ディケンズは、彼の最初の本格的小説というべき『ニコラス・ニクルビー』
を書くときにも、まずはジャーナリストとしての実態調査を行なうために、ヨ
ークシャーヘ旅立ったのであった。当時の手紙や、この作品の序文には、その
結果が見事に報道されている。しかも作品そのものにおいては、彼の想像力が
断然生彩を放っていることは、いうまでもない。続く『ハンフリー親方の時計』
も、もともとは虚構とジャーナリズムの折衷を図った雑録週刊誌として発足し
たのであったが、まもなく『骨董屋』一本に切り換えられた。ディケンズの最
も純枠な想像力の所産--チェスタートンの言葉を借りて言えば、ほとんどフェア
リー・テール的な物語である。だが、その中にやはり、あのチャーティストの
群衆のような、ジャーナリスティックな眼がとらえた、時事問題が悪夢として
出現するのである。
 ジャーナリスト・ディケンズの「創造的怒り」(creative anger)が本格化する
のは、『クリスマス・ブックス』の最初の二編--特に『鐘の音』とそれから『エ
グザミナー』に寄せた数々の記事においてである。一八四八年から四九年にか
けてディケンズは、ジョン・フォスターが編集していた同誌に、社会的不正や
時事問題に関する注目すべき多くの記事を載せ、これによって彼は『ハンフリ
ー親方の時計』の理念を推進すると同時に、『ハウスホールド・ワーズ』に向
けての準備を整えた。
 『ハウスホールド・ワーズ』は、一八五〇年三月に創刊された。そして一八
五一年には『荒涼館』の執筆が始まるのであるが、この小説は、一八四八年か
ら五一、二年にかけて書かれたジャーナリスティックな記事や、その間のディ
ケンズのジャーナリズムヘの関心と、どれほど深く係わっていることか。とり
わけ「十二月幻想」(H. W. 1850, 12. 4)は『荒涼館』の序章ともいうべく、ま
た「驚くべき眠りの光景」(H. W. 1852, 3. 3)に描かれた孤児少年とジョーと
の間には密接な関係がある。
 さらに具体的な例をあげると、宗教活動の一環として当時話題となっていた
ニジェール遠征問題を、ディケンズはジェリビー夫人のボリオブーラ・ガーに
向けての望遠鏡的慈善事業として風刺した。ディケンズは『エグザミナー』に
コレラに冒されたトウティングの孤児院スキャンダル記事を三編寄稿している
が、スナグズビー家の召使いとして登場する「ガスター」は、この出来事を背
景として描かれている。また『ハウスホールド・ワーズ』記事(「フィールド
警部との出動」一八五一・六・一四)にもなったフィールド警部が、バケット
警部として登場しているのも、すでに知られているとおりである。
 『荒涼館』、そしてそれに続く『ハード・タイムズ』のあとも、もちろんデ
ィケンズはジャーナリスティックな活動を持続する。『大いなる遺産』、『互
いの友』、そして『商用ぬきの旅びと』に関連しても興味深い聞題が考えられ
るが、時間の都合でその部分は割愛せざるを得ない。

 講演のあとは、朗読の特別番組。スレイター教授は、"Wapping Workhouse", "A 
Wlk in a Workhouse", Our Mutual Friend の「グリニッジ・ディナー」のシーンな
どを選んでその特技を披露され、ディケンジアンの雰囲気を大いに盛り上げて
下さった。


フェロウシップ会員の著訳書・論文
(一九九四 - 九五年)

川本静子 『ガヴァネス(女家庭教師)--ヴィクトリア時代の〈余った女たち〉
--』 一九九四 中公新書
伊藤廣里 『山里の春』 一九九五 近代文芸社
那須正彦 『実務家ケインズ--ケインズ経済学形成の背景』 一九九五 中公新
書
小池滋(編) 『ヴィクトリアン・パンチ』第一巻 一九九四 栢書房
松村昌家(編) 『ザ・ペニー・マガジン』九巻 一九九四 本の友社
斎藤九一訳 『動物への配慮』 ジェイムズ・ターナ− 一九九四 法政大学
出版
山本史郎訳 『図説アーサー王物語』 一九九四 原書房
川本静子他(監訳) 『女性にとっての職業』 一九九四 みすず書房
青木健、榎本洋(共訳) 『十八世紀イギリス出版文化史』 一九九四 彩流
社
小池滋、川本静子、北條文緒(共訳) 『アービンジャー・ハーヴェスト』 (2) 
E・M・フォースタ− 一九九五 みすず書房
小池滋訳 『ジェイン・エア』 シャーロット・ブロンテ 一九九五 みすず
書房
北條文緒訳 『永遠の命』 E・M・フォースタ− 一九九五 みすず書房
松岡光治訳 『リジー・リー』 エリザベス・ギャスケル ー九九五 『名古
屋大学言語文化部言語文化論集』第XVI巻第二号
松岡光治 「『二都物語』における流動性--革命の不可1避性と時問の不可逆性
--」 一九九四 『イギリス小説ノート9』
Takao Saijo, "T. W. Hill and Tom King and the Frenchman'," The Dickensian, vol.90 
(Summer, 1994)
Fusako Krummel, "Distance and Dignity  Barbara Pym onAgeing: Quartet in August," 
一九九四 『恵泉女子学園短期大学研究紀要』第27号
荻野昌利 「さまよえる旅人たち」(k「遊民」の登場l孤独な夜の散歩者m
神話化された都市像) 一九九四 『英語青年』
西條隆雄 「『オリバー・トウィスト』における暗黒世界の実景」 一九九五 『甲
南大学紀要文学編』92
Fusako Krummel, "George Eliot: Recognition and Resignation in Scene of Clerical Life," 
一九九五 『恵泉女子学園短期大学研究紀要』第28号
荒川良雄 「ディケンズ公開朗読台本研究」 一九九五 『駒沢大学文学部研
究紀要』第五三号
金山亮太 「ヴィクトリア朝におけるディック・ウィッテントンと猫--チャール
ズ・ディケンズの場合」 一九九五 『新潟大学特定研究報告書』
近藤いね子 『避遁録』 一九九四-五 『英語青年』
栗栖美智子 「『ワイルド・フェルホールの住人』における〈笑い〉と〈怒り〉」 
一九九五 『大東文化大学英米文学論叢』第二六号
川本静子 ヴァージニア・ウルフ「姿見のなかの婦人−ある映像」 一九九五 
『みすず』六月号
川本静子 「世紀末の〈新しい女たち〉『英語青年』 一九九五 四月〜

会員名簿


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