ディケンズ・フェロウシップ会報 第九号(1986年)
The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. IX
ディケンズ・フェローシップ日本支部
1985年10月ー86年9月
1985年10月14日(月)午後2:30より
総会 於成城大学
講演 司会 小池滋氏
講師 バーバラ・ハーディー氏
「『ドンビー父子』と『荒涼館』における感情表現」
1986年6月7日(土)午後2:00より
春期大会 於甲南女子大学
研究発表
司会 小松原茂雄氏
発表者 金山亮太氏
「Authorship of George Silverman」
発表者 新野緑氏
「Great Expectationsの空間構造」
シンポジアム
「The Mystery of Edwin Droodをめぐって」
司会 臼田昭氏
小池滋氏
小林司氏
松村昌家氏
表紙の絵
Chertsey's Gate, Rochestor
ディケンズとサーカス
湯木満寿美
私には少年時代、木下巡業サーカスの大がかりなテントの中で、曲馬を見て
楽しんだ思い出があるが、ディケンズは『ボズのスケッチ』のなかで、アスト
リー演技場を、"there is no place which recalls so strongly our recollections of childhood
as Astley's" と語っている。またサーカス愛好者の作者は、しぱしばサーカスを
口にしている。ところでサーカスの起源は遠くローマにさかのぼるが、ョーロ
ッパでは、18世紀末から19世紀に全盛を極めた。ィギリスでは、1768年、
退役竜騎兵フィリップ・アストリー(1741ー1814)が、ウェストミン
スター・ブリッヂの近くに、乗馬学校を開設したとき、曲馬ショーを催したの
が始まりとされている。当時のロンドンの街路では、多種多様の露天商人や大
道芸人が客を呼んでいたが、なかでもサーカスに人気があった。またロンドン
から、遠い地方でも、巡業サーカスが最も歓迎された。ところの祭りや、重要
行事には、定ったようにサーカスが出て来て、興行をした。小都市では市長が
往民に仕事を休んで見物に来るようにと、ふれを出したところもあった。ディ
ケンズの『辛い世』に出てくるスリアリーも、こうした巡業サーカスの所有者
である。近隣からサーカスを見に来た群集が、"Roll up! Roll up!"という木戸番
のかけ声に、吸いこまれるようにテントに入っていく、はほえましい風景が想
像される。
つぎにロンドンのアストリー演技場であるが、アクロバットや道化など多彩
になるが、1792年と1802年の再度の火災に合っているので、ディケン
ズの『骨董店』に出るアストリーはその後のものということになる。さてヴィ
クトリア朝サーカス業界の最大の成功者はジョン・サンガー(1816ー18
99)で、彼は水兵から曲馬師に転じ、サーカス興行師となった。弟のジョー
ジとともに、パーミンガム、マンチェスター、グラスゴーなど12の都市にサ
ーカス常設館を設け、更に1871年ロンドンで最も入気のあったアストリー
の権利を獲得し、これを充実、リングとステージを持つロンドン最大のSanger's
Amphithatreとして、夏の巡業は別として、いつも大入りであった。サンガーは
次のように語る。馬は200頭以上、ショーの動物は、象、らくだ、ライオン、
だちょう、エミュー、ペリカン、鹿、カンガルー、水牛を所有していると。因
みにサーカスの動物は、当時の子どもを喜ばせた、いわば現代の動物園のやく
めをしたのである。余談になるが、このサーカス王サンガーの墓はマーゲイト
に在るが、大理石の墓の上に哀悼する馬の像が据えられている。サーカスはシ
ュリックの言う通り、19世紀大衆の飽くことを知らない最大の娯楽であるか
ら、これが同世紀のmost popular entertainerディケンズの作品に投影するのは当
然のことと言えよう。
「昼夜平分の夜明け」
について
宮崎孝
ジョン・フォースターの『チャールズ・ディケンズの生涯』の8巻5章に、
不眠症に苦しんでいたディケンズが午前2時に起きて田舎道を30マイルほど
歩き回ったときのことが出ている。1857年10月15日のことで、このと
きディケンズは"equinoctial dawn" 「昼夜平分の夜明け」を経験したことをフォ
ースターに手紙で知らせてきたのであった。「夜と朝とがこんなにはっきりと
分れているのを見たのは初めてで、夜とも朝とも言えない状態だった」という。
これはどういう原因で起こったどんな現象だったのかと疑間に思った私は、
成城大学の物理学講師佐治晴夫氏に尋ねてみた。氏は、わざわざイギリスまで、
当時のロンドン付近の気象の状況などをも照会して下さって、大体次のような
答えを下さった。
(イ)第一に、noctilucent cloud(夜光雲)が考えられる。これは高緯度で夜明け
に見られるもので、高度80キロメートルくらいの氷晶か、流星塵で、青白く
光る。太陽の高度が地平下6〜16度の頃に起こる。
(ロ)次に考えられるのはzodiacal light(黄道光)で、これはecliptic(黄道)に
そって密集する宇宙空間中の塵が、太陽光を散乱して、地平面上に円錐状に輝
く。夜が明けるかなり前に、東の空に大きく、扇形をした光のゾーンが立ち上
る。イギリスでは十月末がピークである。
(ハ)その他、airglow(大気光)も考えられる。空中の分子、原子が昼間の日
射でイオン化したものが再結合するときの光であるが、これは地球コロナで弱
い。
(ニ)また、aurora(オーロラ)も考えられる。これは地上3、000〜12、
000キロの高度で、太陽風が地磁気の電場によって加速されて空中の原子を
発光させるもので、イギリスでもしばしば見られる。
さて、ディケンズの見たequinoctial dawnは、朝と夜とが分離するほどの区切
りがあったことから、(ハ)ではなかったと思われる。また、(ニ)であった
とすれば、ディケンズは、はっきりオーロラと書いたのではなかろうか。
そこで、(イ)が考えられるが、しかし、かなり光が弱いのでこれに(ロ)
が加わったものではなかったろうか。これはイギリスの緯度で、しばしば起こ
ることが予想される。状況としては、まだ明けやらぬ東の空に、突如として扇
形の光が立ち現われ、その上方には、青白く光る雲が見えるという現象であろ
う。
(なお、equinoctial dawnという術語はないということである。)
親切にご教示いただいた佐冶氏への感謝をこめて、右のご考察を紹介する次第
である。
『大いなる遺産』原作と映画
斎藤九
去る7月26日、勤務先の大学の公開講座「言語文化と映像文化」の一部と
して「ディケンズと映像」という題で、『大いなる遺産』の原作とデイヴィッ
ド・リーン監督の映画化作品の比較の話をした。持ち時間3時間で、映画はビ
デオ版で122分なので、時間配分は、話を30分、ビデオを50分、休憩1
0分、また話を20分、ビデオを50分、最後に話を20分とし、ピップのロ
ンドン到着からエステラがリッチモンドに来るところまで約22分間は休憩の
間に早送りして省略した。
話は、ストーリーを要約して述べながら、主として原作と映画の相違に触れ
た。前半、ピップがサティスハウスヘ行くところまではほば原作通りだが、そ
の後はかなり違いが目立つ。ジョー夫人の死因が病気であること、サティスハ
ウスの階段を下るジャガーズがろうそくを持っていること、マグウィッチ再登
場の場面で階段が出てこないこと、ピップがドアを閉めると暖炉からころがり
出た火がハヴィシャムの服に燃えうつること、結末のピップとエステラの再会
の場面でサティスハウスの建物が残っていることなどが原作との違いの一部で
ある。
また、最後の場面で、原作では霧が晴れて(と私は解釈するが)月光がさし
てくるのに対して、映画では暗い室内にピップがろうそくを持って入り、カー
テンを引き裂いて日光を入れるという積極的な結末になっていることなども話
した。講座のテーマは「言語と映像」だったが、映画に音楽は欠かせないもの
で、リーン監督の『大いなる遺産』では、特に後半のテムズ川の場面が音声的
に面白い。テムズ川にボートが出ると波と風の音だけになり、乗り込むはずの
船が姿を見せるところで鋭く音楽が入る。映像的には船を待っているのだが、
音声的には、風と波の現実音の緊張の中でひたすら音楽による解釈の瞬間を待
っている、というような印象を話した。幸い、小説と映画の名作のおかげで、
あまり退屈させずに講座を終えることができたようで、機会があれば別の作品
でまたやってみたいと思ったことである。
ディケンズ愛好家たち
字佐見太市
一旦ブラジルの密林に入り込んだが最後、いくらあがいてももがいても、二
度とそこからは生きて出られない、という話。これは、正に「悪夢」としか言
いようがないだろう。 こんな恐ろしい世界を描いたのがイヴリン・ウォー。
その短篇『ディケンズを愛した男』は、デニス・ホイートリー編纂の恐怖小説
のアンソロジー(邦訳・ソノラマ文庫)の中でも、一味違った作品となってい
る。
探険隊員としてブラジルの奥地に迷い込んだへンティの生命を救った現地人
マクマスターは、大のディケンズ文学愛好家。自らは字が読めないが、人に朗
読してもらってそれを聞くのが大好き。作品はディケンズのみ。こんな偏執狂
じみた老人マクマスターに名朗読家としてみこまれたが運のつき、ヘンティは
決して故国へ帰してはもらえない。かわいそうに死ぬまでディケンズ作品の朗
読をさせられる。
これは、誰もが少なくとも一度は実際に見たことのあるような冷や汗の出る
思いの悪夢ではあるが、案外ディケンズ文学の本質とも呼べるものがこの短篇
小説には凝縮されていて面白い。
まず、作品を声に出して読んで聞かせるという点。これは、黙読中心の現在
にあって、今一度われわれが立ち帰るべき原点であろう。次に、マクマスター
の反応の仕方がいかにもディケンジアン的である点。彼が関心を示すのは登場
人物についてのみ。登場人物へのその思い入れの強さは感動的でさえある。又、
ユーモアやジョークのすべてに腹をかかえて笑うところも、ディケンズ作品の
良き読み手と言えるだろう。
同じディケンズ愛好家でも、オーガスト・ダーレスの短篇『ディケンズ愛好
家』(邦訳・新潮文庫)の主人公エビニーザー・スノーリーは、ディケンズの
著書ならぴに関連資料の蒐集に全情熱を傾けるタィプ。着るものまですべてデ
ィケンズの時代に合わせる凝りようである。
「iの字の点は、これまさしくディケンズです。tの字の横棒も然り。間違い
ありません」(池央訳)と、ディケンズの筆蹟鑑定に絶対的な自信をもつスノ
ーリーは、贋作とは
つゆ知らず、ディケンズの肉筆原稿と信じたものを、まるで宝物の如く大切に
保管する。その態度は、あまりの生真面目さゆえに、いじらしくてほほえまし
い。ディケンズ・コレクションにかけては常に碩学の如くふるまってはいるも
のの、原稿の紙に写っている製紙会社名の透かしには気づかない、愛らしいコ
レクターである。
さて、私たち日本のディケンズ愛好家たちは一体どちらのタイプなのであろ
うか。マクマスター型か、スノーリー型か。私の場合、スノーリー型にも大い
に共鳴しつつ、結局はマクマスター型(作品派)に近い気がする。
リトル・ドリットの肖像
増渕正史
一面ではコーデリアを思わせ、他面ではコゼットを思わせるリトル・ドリッ
トは、この同名の作品の中で、他の人物に比し、或るくっきりとした姿を見せ
ている。しかし、彼女の女主人公にしては数少ない言葉と行動を通してだけで
は、彼女がいかなる人物なのか、必ずしも明確になってはこない。従って、こ
こで少しく、彼女の姿をより明確に把える努力をしてみたい。
借財により投獄された父と共に22年間をこのマーシャルシー牢獄で過し、
今やただひたすら父親のために献身するエイミィの姿、その献身に余り敏感で
はない父親ウィリアム。この親と娘との関係は、アーサーの出現によって、エ
イミィの他の面も明らかにする。彼女は、自分の若い父親とも言える位に年齢
に開きのあるアーサーに、単なる好意以上のものを見せる。他面では、自分の
境遇から見、また客観的に純情な好青年と恩われるジョンの求愛を冷酷なまで
の態度を示して斥けてしまょう。第2部最後の場面でのアーサーヘの積極的態
度を考えに入れていく時、エイミィはエレクトラ・コムプレックスの持主では
なかろうかという気さえしてくる。
逆境にある父親への献身的な愛、灯のともったのはずっと前であったにして
も、はっきり愛を献げる対象となったのは彼が入獄してからになるアーサーヘ
の愛。彼女の愛は、献げる対象よりも、自分が、環境的に、精神的に優位に立
った時に生れてくるのである。
* * *
この作品では、典型的な牧歌(的)作品やその人物への言及がなされる。『ポ
ールとヴィルジニィ』、クローエとフィリスとストレフォン。そして、かのニ
ューゲイト・パストラルたる『乞食のオペラ』。『リトル・ドリット』ではニ
ュ−ゲイトが、マーシャルシーとなる。そして、エイミィとジョンとアーサー
とは、マーシャルシー・パストラルの登場入物となる。なぜなら、この作品を
大きく包む社会機構。苛酷・非情な社会の中で、分をわきまえた者には、それ
なりに質素・素朴な、のるかそるかを離れた、長閑とさえ言える憩をこの牢獄
は与えてくれるからである。その上、主人公たるアーサ−は、齢不相応に若く
素朴である。そして、エイミィの愛はこのような単純・素朴な環境の中でしか
成長しないのである。これは、まことに興味深い逆説に思われる。
こう考えてくると、エイミィの愛は、エレクトラ・コムプレックスを孕みつ
つ、彼女とアーサーを主人公とした、牧歌的な愛である。こう考え、これまで
のリトル・ドリットの「リトル」を思い浮べながら、エイミィの愛の形を彼女
の姿に逆照射する時、エイミィの姿は、より一層明確な姿を現わしてくるよう
に思えるのである。
春期大会におけるシンポジアム
司会がわりに一筆
臼田昭
今回『エドウィン・ドルード』のシンポジアムを試みたがさすがに3人の講
師は百戦錬磨、陳腐な犯入探しに堕することなく、新鮮な視点からする独創の
論をそれぞれ展開され、犯入はジャスパーと意見は纏まった。各講師のアプロ
ーチの清新大胆さは収穫だったと思う。以下その論旨をお読み頂きたい。
『エドウィン・ドルードの謎』
における犯人の記号学
小林司
エドウィンを殺したのはジャスパーであって、死体を大聖堂の地下に隠した
ことにする筋書きがディケンズの頭の中には出来上っていたことが残されたメ
モからうかがわれる。 したがって、それらが言葉の端々に思わず顔を出して
しまうであろうことは、フロイトの《日常生活における精神病理》をまつ迄も
なく、想像に難くない。
この作品を通読するとき、真先に気がつくのは、「大聖堂」という単語と「死」
関連語(死ぬ、絞首刑、埋葬、墓石、棺、死体など)の頻出である。「大聖堂」
は59回、(4.3頁に一回)「死」関連語は109回(2.8頁に1回)という
高頻度だ。しかも両者が近接していることが多く、「大聖堂」の約90%はお
よそ10行あとに「死」関連語を誘発している。この連想の頻発から、殺人場
所ないし死体隠し場所は大聖堂地下が疑われる。
次に、犯人をさがすために「死」関連語の前やあとに出てくる人名を見ると、
いずれの場合もジャスパーが第一位となっている。「死」関連語の前は、ジャ
スパーが97回中17回、エドウィンも同数、ダードルズ9回であり、あとに
くる場合はジャスパーが92回中21回、ローザー10回、エドウィン8回の
順になっている。「死」関連語を発言した者の名を調べると、グルージャス1
2回、ジャスパー9回、ダードルズ4回、ローザ4回の順である。これらの結
果から、犯人はジャスパーである可能性が濃い。
フロイトは《無気味なもの》(1919年)において、抑圧されたコンプレ
クスを再び呼び戻そうという願いに基づいて反復強迫がおこり、反復による快
感を本人は感じるが、周囲の人は反復によって不気味さを感じる、と述べてい
る。大聖堂と死を反復することによって、殺人事件の舞台に不気味な舞台効果
を与えたことは確かであろう。
ディケンズが「死」関連語をなぜ繰返したのかについては4つの可能性が考
えられる。第一は、彼がエディプス・コンプレクスをもっていたとする考え。
現実には許されぬ父親殺しを作品中で実行するのは充分ありうることだ。つま
り、エドウィンはジャスパーの父親代りに殺され、ローザは母代りにジャスパ
ーにより愛されたので、あのような無軌道な恋愛がおきるのだ。ずぱり「死」
という単語が出てくる36カ所のうち19(52.8%)は積極的殺人であり、
さらにそのうちの15(78.9%)は父の代理になりうる人物(女や子供でな
い)のすぐあとに「死」が続いていることもこの説を裏づけている。
第二の考えは、大聖堂を秩序の象微(超自我)、浅黒いジャスパーを無軌道
な欲望実践者(イド)、エドウィンを現実主義者(自我)とみなし、イドが超
自我に反抗する物語を書いて、ディケンズは父の権威を否定しようとしたと推
定する。
第三は、父殺しを願う己の罪に戦いて、ディケンズの良心が自分を罰するた
めに自殺を考えて「死」が頻出したとする考えだ。
第四は、精神的恋人ともいうべきメアリ・ホガースが1837年に急死して
以来、ディケンズは死への恐怖を抱き続けたかもしれない。この恋人への操を
たてるために、エドウィンとローザの結婚を死によって阻んだとも考えられる。
また、1865年の列車事故の心的外傷の影響も否定できまい。
なお、ディケンズは肛門愛的性格、権威主義的性格、同性愛的傾向、異性愛
的性器欲求の弱さ、など未熟な性格をもっていたことを考え併せると、夫々の
性格特徴がこの作品の各主入公に投影されていることがわかる。
『エドウィン・ドルード』と世紀末
小池滋
『エドウィン・ドルードの謎』が書かれた1870年が、はたして「世紀末」
に入るのかどうかは知らないが、その作品の中に世紀末的なデカダンスの気分
が強く見られることは間違いない。
まず第一に、舞台となっている古い大聖堂の町クロイスタラムである。「町
じゅうのすべてが過去のものだ」(第3章)と書いてあるが、過去や歴史や伝
統の積み重ねが、何か積極的価値を造り出しているのではなくて、沈滞、腐敗
をもたらし、屍臭を放っているのだ。
もともとクロイスタラムのモデルであるロチェスターは、ディケンズにとっ
ては、子供時代の楽園、生活の困窮と結びつくロンドンとは対照的に、甘い懐
しい思い出の地として多くの作品の中に登場していたのであるが、この最後の
作品では、そのような感傷や郷愁はすっかり切り捨てられている。トマス・マ
ンにとってヴェネチアのように、古い文化の蓄積、豊かな美の世界は、その中
に恐ろしい退廃と死の臭いを秘めていることが、この作品を読むと感じられる。
第ニに、芸術が道徳的な健康さを失っていることである。町のすべての人か
ら讃美されるジャスパーの音楽的才能は、アヘンと悪徳が咲かせた狂い咲きの
美しさなのだ。彼自身「大嫌いだ」と自分の職業を説明し、エドウィンが「神々
しい、まるで天使の歌声」と形容する聖歌隊の音楽が、「私には悪魔の声のよ
う」(第2章)に聞えると告白している。
エドウィンを殺す(私はジャスパーがエドウィン殺害の犯人だと思う)つも
りの日のジャスパーの音楽が、いつになくすばらしい出来であったことも、彼
の芸術の本質をよく物語っている。健康で素朴なクリスパークルにはそれがわ
からないから、「とても美しかった。見事だった!とても健康でなかったら、
あんな以前のレコードを破るような出来映えにはなるまい」(第14章)など
と言っているが、これは作者の仕込んだ痛烈なアイロニーだ。
第三に、この作品に示される愛のかなりのものが倒錯した愛であること。ジ
ャスパーがエドウィンを殺す真の動機は、2人の間の同性愛にあると思う。エ
ドウィンがローザと結婚する(と、信じていた)ことで恋人を失うと思ったジ
ャスパ−が、可愛さ余って憎さ百倍となったのである。彼はおそらく女を愛す
ことができない男であろう。
クリスパークルとタ−ター、ヘレナとローザも、同じように寄宿舎生活から
同性愛へと移って行ったに違いない。生産性のない不毛な愛は、まさに世紀末
の退廃の典型であり、それが宿命的な殺人の悲劇を生み出したのだ。
『エドウィン・ドルードの謎』
-facts into fiction
松村昌家
私は『エドウィン・ドルード』がディケンズの二度目のアメリカ訪問を経て
書かれた作品であることに注目したい。というのは、この作品が、アメリカの
ボストンで起きた、ある殺人事件と深い関わりをもつものだと考えるからであ
る。
1849年2月に、ハーヴァード大学医学部教授ジョン・ワイト・ウェブス
ターが親友で恩義のあるジョージ・パークマンを殺し、その死体の隠滅を計っ
た。この事件のドキュメンタリ記事が、1867年12月14日号の『オール・
ザ・イア・ラウンド』に掲載された(筆者はジェイムズ・テネント)が、ディ
ケンズはそれよりひと月前に、アメリカヘ旅立つ頃から、この事件に深い関心
を寄せていた。そして滞米期間中に書かれたリットン、W・コリンズ、J・T・フ
ィールズ宛の彼の手紙は、このパークマン事件に関するディケンズの異様なほ
どの関心の深まりを物語る。ディケンズが事件発生の現場をつぶさに見てまわ
ったという事実も判明している。
そこで、先のテネントの書いた記事、さらにへレン・トムスンによって書か
れた『ハーヴァード殺入事件』( Murder at Harvard, 1971)に述べられている事
件の主要部分を、『エドウィン・ドルード』の内容と較べてみると、多くの点
に関して興味深い類似や共通性が浮かび上ってくる。
先ず信頼されていた人間が恐ろしい悪を秘めていたこと。ある日突然に起こ
った謎の失踪。それからその後の捜索が、川に集中されていること。そしてさ
らにパークマン事件において、川から彼の金時計が発見され、またウェブスタ
ーの実験室の炉からシャツボタンが発見されて、事件解明の鍵になったこと。
ディケンズが川と、そこから発見される金時計とシャツピンに関して、特に念
入りなメモを残していることから考えれば、この「事実」は、極めて重要な意
味をもつ。そしてもう一つ、パークマン事件の真相解明には、ハーヴァード大
学医学部用務員リトルフィールドのドラマティックな地下道探険が、重要な役
割を果たすのだが、これがまた『エドウィン・ドルード』においてダードルズ
とジャスパーが演ずる地下室のドラマと興味深いパラレルをなす。
春期大会における研究発表
司会者の弁
小松原茂雄
甲南女子大学における今年の春の例会には、金山亮太氏と新野緑氏とに、研
究発表をお願いした。御二人とも、新進気鋭の研究者で、それぞれ清新な観点
から、ディケンズ晩年の傑作について、興味深い問題を提出して下さった。御
二人の論旨の要約は次の通りである。
ジョージ・シルヴァーマンの著者性
金山亮太
ディケンズが完成させた最後の小説として知られている『ジョージ・シルヴ
ァーマンの釈明』は、従来その語り手が暖昧な入物であるために、物語全体が
不明瞭なままであると評されて来た。そもそも彼がどう曖昧であったのかを知
るために彼の言動を見ていくうちに、彼が作者の意図によって現在の姿となっ
たことだけでなく、作者の意図を超えた意味をも持っていることが明らかにな
ってきた。それは、彼の備えている「著者性」である。
語り手シルヴァーマンは、不幸な生い立ちを常に自身の引け目と感じており、
自分のがめつさを意識している。それをとり繕うために彼は利他的に振舞うの
だが、他人から誤解されて苦しむことになる。読者は彼に同情したくなるが、
よく見ると、彼は自分の掲げる高尚な基準を満たすために行動しており、所詮
は白己中心的な人物であることがわかってくる。彼の本質である自己中心性と、
彼が苦悩を味わっている姿とを目撃することにより、我々は彼の暖昧性に悩ま
されるのである。
ディケンズは故意に語り手を暖昧な人物に仕立てあげるために、彼の自己中
心性と苦悩を微妙に混在させてゆく。例えば、語り手の苦しみを表現するため
に、作者は物語の終末部で、「読者などいなくても良い」と彼に言わせている。
彼は苦しみを全て吐き出して、解放感を味わっているのだ。ところが一方で、
語り手は物語の冒頭部では逡巡を見せている。誤解を恐れる彼は、書き出しを
2回も中断するのだ。この事実は、彼が読者の存在を意識しているということ
を証明している。
作者は、語り手にこのような矛盾した態度を取らせることにより、彼が二面
性を備えた入物なのだということを我々にほのめかし、更に語り手が自己中心
的な態度でこの釈明を書いているのかも知れない、と教えている。しかし、我々
はそれ以外の意味を、この曖昧な語り手から読み取ってしまうのである。
冒頭で読者を想定してためらうシルヴァーマンは、単なる語り手でなく、著
者性を備えた人物として我々の目に映る。最後に読者などいなくとも良い、と
洩らすことによって、すなわち自分の著者性を否定してみせることによって、
却って語り手は、彼が我々に「1人の著者」として認識されていたことを気づ
かせてしまうのである。
ディケンズと同じ「著者」の位置に就いた語り手は、己れの辛い少年時代を
語ってみせる。今や我々には、それが作者自身の苦悩の発露であるかのように
思われてしまうのである。作者が語り手を暖昧な人物に仕立てあげるために用
いた手法によって、彼自身が語り手によって欺かれているように見える点は興
味深い。著者性を持った語り手は、今や作者のドッペルゲンガーとして、彼の
過去ばかりか将来まで見通しているように思われるのだ。
Great Expectationsの空問構造
新野緑
Great Expectationsの冒頭に描かれる暗黒の沼地は、ピップとマグウィッチとの
邂逅の背景であるのみならず、主人公に内在する捉え難い「闇」すなわち「深
層」の象徴と読むことができる。ピップがエステラと出会うサティス・ハウス
もまた、沼地と同様、主人公の内面世界を映し出す象徴的な空間といえる。囚
人がピップの「自我」を脅かす「闇」の象徴としてピップをひきずり込む「下
降」の力を備えるのに対し、「光」の化身エステラは「紳士」ヘ成り上がる「上
昇」の夢を彼に植えつけ、「闇」からの脱出を促すものと描かれるからである。
しかし、明らかな対照をなすかと見える沼地とサティス・ハウスは、実は、
ひとつの通底した世界であるにすぎない。ロンドンでのマグウィッチとの再会
の場面から明らかなように、ピップの「夢」の世界は、上と下、光と闇とが逆
転したいわゆる倒立の世界であり彼の沼地からサティス・ハウスを経てロンド
ンへという「紳士」に成り上がる小説の前半部は、この倒立の世界を彼が「闇」
の奥底へ下る旅であった。
「夢」の世界の構造は、ピップが離反するジョーの世界とその空間的な構成
を比較することで一層明らかになる。日常的な秩序の体現者として確かなアイ
デンティティを保つジョーの世界が直線的な「道」をその空間形象とするのに
対し、そのジョ−の世界を離れてピップが辿る空間は、彼を惑わす「迷宮」で
ある。ピップが「成り上がって」ゆく過程は、すなわち「迷宮」の奥底へ下る
旅であり、その「闇」の旅を照らすべき「燈台」と喩えられる「光」、エステ
ラには迷宮を導くアリアドネ像、従ってピップにはテーセウス像が重ねられて
いる。しかし、ピップが夢想するこのイメジに反して、現実のェステラは彼を
迷官の奥底に導いただけの疑似アリアドネにすぎず、ピップもまた擬似テーセ
ウスにすぎない。
ロンドンでの囚人との再会に始まる小説の第三部が描くのは、こうした「闇」
の中に行き暮れるピップの迷宮脱出の過程である。ここで彼が夢の実体を確認
しつつ経験する「下降」は、「迷宮」が上下の転倒した倒立の世界であること
を思えば、彼が迷宮の地下世界を逃れて地上へ向かう上昇の旅と読むことがで
きる。小説の結末部において、ジョーとの和解を果たしたピップが「闇」では
なく「光」のイメジに包まれるのは、彼の迷宮脱出の証しである。
自我を脅かす闇の発見から語り始められるピップの物語は、彼が夢にひかれ
てその底へと下り、生命を賭けて脱出する迷宮の旅である。Great Expectationsの
小説空間は、こうした主人公の精神世界を象徴する構成と意味とを備えた、真
に小説的な空間であるといえよう。
パーバラ・ハーディー
『ドンビー父子』と『荒涼館』における感情表現
青木健・記
本日はディケンズの『ドンビー父子』と『荒涼館』における感情表現の諸相
について話したいと思う。ディケンズは感情過多の作家と言われ、反復と誇張、
型にはまった描写をしばしば指摘されるが、反面、彼の感情表現は人物の微妙
な内面的変化を的確に描出するとともに、読者の感情を複雑に刺激し、その適
切な操作によって芸術的効果をあげている。その具体例を最初『ドンビー父子』
のポール臨終の場面に見てみたい。「波が常に語っていた事」と題する16章
で、ディケンズは病床の少年の意識と感情に焦点をあて、中心的なニつのイメ
ージー川と海ーを通して死に臨む子供の感覚体験を鮮烈に描写する。ポールの
幻覚的な意識の中で奔流となって流れる川は、現実の黒いテムズ川の連想を伴
いながら彼を死へと押し流そうとする恐ろしい力と映り、病室のブラインド越
しに射し込み壁に金色に映る光りは以前から聞こえていた波の音と融合して永
遠の海のイメージと結びつく。対立する2つのイメージ様式は反復して現われ、
川への恐怖と海への憧景を強調しつつ、複雑に変化する少年の感情−恐怖,喜
び・苦痛−を読者の心に刻み込む。
スマイクやネルの穏やかな臨終とは対照的にポールのそれは精神と肉体両面
の苦痛に満ちている。特に大きな違いは内的体験が外面化される点である。出
来事は時に透明に、時に不透明となるフィルターのように絶えず変わるポール
の意識を通して伝えられる。とりわけドンビーの描写には強烈なアイロニーが
合まれている。ドンビーを"he"でなく"it"で言及して「もの」ヘと還元するポー
ルの言葉は、少年の意識の混濁のみならず、人間的感情を喪失し自分を死へと
追いやった人物への激しい怒りを暗示している。これらを描いた文体はメタフ
ォリカルなイメージを通して簡潔な、むしろ控え目なためかえって文学的効果
をあげている。
ポールが息を引きとった後、視点は語り手に移り、感情の細部描写から一転
して宗教的訴えという一般的イメージヘと移行する。しかし芸術性を危くする
アンチ・クライマックス的転換も臨終の緊張状態から静寂と沈黙が支配する世
界へと読者を誘い一種の解放感をもたらしてポールヘの同情を一段と強める。
次に『荒涼館』のジョーの臨終の場面(47章)を見てみよう。ここでも独
特のイメージが重要な鍵となって強烈な感情シーンに統一を与える。苦しみに
満ちた絶え間ない労働を強制し疎外感をあおる「荷車のイメージ」が、「休止
なき前進」のメタファを伴って反復して現われ、海へと注ぐ川がポールを死へ
と追い立てたようにジョーを孤独な死へと追いやる。ここで再びディケンズは
少年の意識と感情を巧みに劇化し、社会的貧困と個人的愛の対比を鮮やかに浮
き彫りにする。少年が息を引きとる際、善良な医者から聞く祈りの中の言葉「フ
ァーザー」は母の愛を知らぬジョーの意識の中で親切だった男のイメージと結
びつき「父なる神」と「父」二重の意味が重なり合い虐げられる弱者の愛を暗
示する。さらにジョーの感情を通して外部世界は一般的表象と対照的な独自の
意味を与えられる。黒いテムズ川が臨終のポールの意識にのぼったように、ジ
ョンの意識をかすめるのは貧しく忌まわしい現実のロンドンを象微する墓地の
イメージである。しかし一般のイメージと違い、墓に対するジョーの連想は恐
怖や不安とは結びつかず、むしろ愛と感謝に満ちている。そこは日頃彼が労働
に励んだ懐かしい場所であり、さらに父親像としてのニ−モーが埋葬されてい
たからである。
ジョーの声が途絶えた時、物語は劇的形態から語りの形態へと移行する。語
り手が登場し厳粛な声で読者に訴えかけ、この臨終シーンを宗教的信念やエレ
ジーで終らせず、社会的怒りで締めくくる。語り手は社会のあらゆる階層ー王、
紳士、牧師さらに一般の入々ーに向かいジョーを死に追いやった責任を問う。
しかしアイロニーに満ちた糾弾の声は決して虚しい声でなく、読者の同情を確
実に喚起する。なぜならジョーは社会的不正の犠牲者として典型的に描かれて
いるからである。
このようにディケンズは最後に現代の小説家がしばしば試みるように小説の
枠組から現実の広い世界へと歩み出て、小説を書く行為とともに読者の情動的
反応を操作するという全体的意識を示唆する。偉大な小説は社会の正義と読者
の同情や怒りに訴える。こうしてジョーは小説中の人物でありながら、作者の
巧みな感情表現によって現実の人間以上に読者の共感を得る。言葉の枠組を越
えて読者は読者自身の体験という一層広い枠組へと導かれるのだ。
日本におけるディケンズ関係の研究書とフェローシップ会貝の著訳書
J‐G‐カウェルティ著鈴木幸夫訳 『冒険小説ミステリー・ロマンス』198
4年 研究杜
櫻庭信之著 『ロンドンー紀行と探訪』1985年 大修館
小池滋訳(アーサー・ラッカム絵) 『クリスマス・キャロル』1985年 新
書館
村石利夫著 『蜻蛉切りの平八郎』1986年 村田書店
櫻庭信之/蛭川久康編著 『《写真集》アィルランドの歴史と文学』1986
年 大修館小池滋/石塚裕子訳 『ディケンズ短篇集』1986年 岩波文庫
ピエール・クースティアス/ジャン・P・プチ/ジャン・レイモン著小池滋/日
田昭共訳『十九世紀のイギリス小説』1986年 南雲堂
W・L・ゲーリン/E・G・レーバー/L・モーガン/J・R・ウィリンガム著日下
洋右/青木健訳 『文学批評入門』1986年 彩流社
臼田昭著 『インーイギリスの宿屋のはなし』1986年 駸々堂出版
松村昌家著 『水晶宮物語−ロンドン万国博覧会』1986年 リプロポート
山田和男氏 フェローシップ理事、元一橋大学商学部教授、元千業商科大学教
授山田和男氏は、1985年12月15日、急性心不全のためお亡くなりにな
りました。享年79歳。謹んで哀悼の意を表します。
編集後記
昨年の総会にはバーバラ・ハーディー女史の講演を聞くことができ、また今
年は再びフィリップ・コリンズ氏をお迎えすることになりました。フェローシ
ップのメンバーによる著書、訳書等も、次々と出版されていますし、東京での
読書会も、『ピクウィック・ペイパーズ』を8分の7ほど読み終え、今その作
品についての1つの計画を、具体化させつつあるところです。年ごとにフェロ
ーシップは発展していくという感を強く覚えます。
編集その他には中西敏一、安富良之、青木健、村石利夫が当たりました。今
後もこのメンバーで続けていきたいと考えております。御批判、御助言等、お
寄せいただければ幸いです。(中西)
ディケンズ・フェロウシップ日本支部
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