ディケンズ・フェロウシップ日本支部:2011年春季大会速報

日本支部のみなさま

6月4日(土)に開催された春季大会の模様をご報告いたします。

今回は緑豊かな森の中にある神戸女学院大学の美しいキャンパスで開催されました。
梅雨に入りましたが、幸い天候に恵まれ、南欧の建物を思わせる瀟洒な会場エミリー・ブラウン
記念館には60名ほどが集いました。研究発表はありませんでしたが、二つの意義深い講演が行わ
れ、さらにプロの俳優によるディケンズ作品朗読という画期的なプログラムも組まれ、実に内容
豊かな大会となりました。会場をご提供くださり、裏方の雑務をこなしてくださった上に、講演
の司会もお引き受けいただいた溝口薫さんに深く感謝申し上げます。

第1部 特別講演
司会:佐々木徹(京都大学教授)
John Drew(University of Buckingham)
'Charles Dickens's Weekly Magazines (1850-70) and the "Business of Leisure"'

日本支部会員の投票によって招待されたジョン・ドルー氏は、今最も活きのいいディケンズ研究
者の一人です。氏はまず自分がディケンズのジャーナリズム研究に入ったときに、田辺昌美の『
The Uncommercial Traveller 研究』に出逢って衝撃を受けたエピソードから始めました。若いディケ
ンズが速記者として活動を始めたときから、生涯を通してジャーナリストして進化を続けたこと
を丹念に跡づけていきました。パワーポイントを使いこなし、Household
Narrative の貴重な現物を示すなどして、聴衆を惹きつけましたが、『無商旅人』中の "Chatham
Dockyard" を取り上げ、その巧みなレトリックを分析してみせたところなど、優れた読みに感心
させられました。全体として期待に違わない、若い情熱と意欲にあふれた講演でした。
ドルー氏は現在、ディケンズのジャーナリズム全てをデジタル化するという大規模なプロジェク
トをバッキンガム大学を拠点に推進しています。技術の進歩によってテクストのスキャンニング
の精度はかなり上がりましたが、学術資料として十分に価値あるものとするためには、エラー修
正が欠かせません。膨大な電子化資料の修正には多数のボランティアの協力が必要です。意欲あ
る日本のディケンジアンはぜひドルー氏のサイトを訪問し、登録して、このプロジェクトに参加
してください。
詳細は以下にて。
http://www.buckingham.ac.uk/djo

第2部 ディケンズ長編全訳刊行記念講演
司会:溝口 薫(神戸女学院教授)
田辺 洋子(広島経済大学教授)
「翻訳をめぐって」

田辺洋子氏は、この度『大いなる遺産』(渓水社)の刊行をもって、『ピクウィック』から『エ
ドウィン・ドルード』に至るまでのディケンズ全長編小説の個人全訳を完成されました。本大会
では、この驚異的な偉業達成を記念して、講演を行っていただきたいと支部長から要請しました。
以前から何度か要請していたのですが、今回ついに(前支部長の西條さんの説得もあったらしく)
、雑談のようなものでもよければ、ということで、お引き受けいただきました。
過去十数年間にわたるディケンズ翻訳作業について、いろいろなエピソードが紹介されました。
このとてつもない訳業を田辺氏に決意させたきっかけが、後輩の松岡光治さんの一言だったなど
(どこまで本当なんでしょうか)、独特の飾らないユーモアを随所にちりばめたお話しぶりには
惹きつけられました。中でも興味深かったのは、最初の翻訳『互いの友』(こびあん書房)を訳
し終えたとき、原稿を読み返してみて、「これでは英文和訳でしかなく翻訳ではない、だめだ」
と思い、全面的かつ大幅な改稿を行ったということでした。あの独特の「田辺節」はこのときで
きあがったというのです。
田辺氏の語りは、静かな口調ながらも、前人未踏の偉業をやってのけた人間でなければ持ち得な
い重みと迫力が感じられるものでした。

第3部 特別公演 ディケンズ作品朗読
司会:梅宮創造(早稲田大教授)
佐藤 昇(俳優・グローブ文芸朗読会主宰)
「ドクター・マリゴールド」

佐藤昇氏は、ディケンズ作品の公開朗読を続けており、ディケンズの面白さを日本の一般聴衆に
広めることに大きな貢献をされておられます。『ディケンズ公開朗読台本』を翻訳出版された梅
宮さんのご紹介により、プロの俳優による朗読という画期的な企画が実現することになりました。
タキシードに身を包んだ佐藤氏が登場すると、一瞬にして会場は教室から劇場空間に変わりまし
た。おなじみの「ドクター・マリゴールド」を佐藤氏はたくみな語りで熱演されました。たたき
売りのコクニー訛りの口上を見事な日本語訳に移し替えた梅宮さんの台本は、佐藤氏によって生
き生きと演じられ、笑いをさそいます。一方、最愛の娘ソフィーが死ぬ場面では限りない悲しみ
が聴衆の胸に迫りました。そのソフィーの身代わりとしてマリゴールドの慈愛を一身に受けて育
てられた障害のある娘が、やはり障害のある夫と、二人の間に生まれた娘(三人目のソフィー)
をつれて、「父」と再会する最後のクライマックスでは、ついに涙腺がゆるみました。後に残っ
たのは、ディケンズを読んで必ず得られるあの名状しがたい幸福感そのものでした。
このすばらしいパフォーマンスをしてくださった佐藤氏と仲介の労をとってくださった梅宮さん
に深く感謝申し上げます。
なお、佐藤氏は、旅費以外は無料でよいと仰ってくださったのですが、それではあまりに申し訳
ありませんので、ささやかながら謝礼を支払うことを理事会で承認していただきました。
佐藤氏が主催する「グローブ文芸朗読会」の次回公演は次の通りです。お近くの方はぜひご来聴
ください。

「ディケンズ公開朗読台本(梅宮創造訳 英光社版)出版記念公演」
演し物
「ナンシー撲殺」(朗読 佐藤昇)
「ドクター・マリゴールド」(朗読 蔀英治)
日時:6月11日(土) 開場17:45
場所:荻窪かん芸館(「かん」は行の間に干という字) JR中央線荻窪駅より徒歩7分
会費:2000円
(添付ファイルをご覧ください。)

田辺洋子氏出版祝賀会
於 愛蓮門戸店

大会終了後、私たちは、感動を反芻しつつ、門戸厄神駅前の懇親会場へ向かいました。
参加者は、ドルー氏と佐藤氏も含め、40名超で、盛会となりました。
今回の懇親会は「田辺洋子氏出版祝賀会」として、田辺さん(ここからはフェロウシップの仲間
としてこう呼ばせていただきます)の偉業を讃える会としました。司会をお引き受けいただいた
西條さんは、立派なプログラムを印刷してくださいました(添付ファイルをご覧ください)。田
辺さんへ花束と記念品の贈呈が行われた後、支部長から祝辞を呈し、乾杯となりました。例によっ
て和気あいあいの喧噪の中、美食を楽しんで一段落というところで、来賓からのご祝辞がありま
した。広島経済大学学長の前川功一氏と渓水社社長の木村逸司氏から、私たちの知らない田辺さ
んの人となりの一端を紹介されつつ、お心のこもったお祝いのお言葉をいただきました。お二人
には遠路お越しいただき、本当にありがとうございました。
続いて、日本支部会員を代表して、松村昌家先生(さん付けで呼ぶことがどうしてもできません)
からも祝辞がありました。松村先生は、田辺さんの翻訳を明治期からのディケンズ翻訳の歴史の
中に位置づけるというお話をされました。あまりに内容豊かなもので、宴席での祝辞で終わらせ
るのはもったいなく、いずれかの機会にじっくりお聴かせいただきたいものです。
最後に田辺さんからの謝辞がありました。最後はみんなで「ロンドン橋」を合唱しました。
私たちの誰もが予想していることですが、田辺さんの訳業は未だ終わってはいません。ディケン
ズの作品は長編以外の代表的なものだけでも、『クリスマス・ストーリーズ』に『クリスマス・
ブックス』があります。少なくとも「ディケンズ小説個人全訳」が完成するまでは田辺さんは走
り続けることでしょう。リトル・ドリットを思わせる小柄で痩身の田辺さんのどこにあのエネル
ギーが備わっているのでしょう。松村先生は「今年一年は休め」と言われましたが、いくら松村
先生のご命令とはいえ、田辺さんはおそらく従わないでしょう。くれぐれもご健康に留意されて、
さらなる未知の領域へ進まれることを会員一同を代表してお願い申し上げます。

二次会以降

恒例の二次会は西宮北口駅近くの「天花」に場所を移して行われました。こちらの参加者は16名。
数名の常連の顔が見えなかったのは広島や名古屋へはその日のうちに帰れるという場所だったか
らでしょう。いずれにしても歓談はいつ果てるともなく続き、私は他の四、五名の方々とともに
早めに退散しましたので、ドルー氏をはじめ後に残ったハードコアの連中がその後どうなったか
は知りません。

今回の大会は、プログラムの内容が充実していたこともあり、大変にすばらしいものになりまし
た。溝口先生のご苦労に報いることができたように思います。

秋の総会は京都大学で開催予定です。

ディケンズ・フェロウシップ日本支部長
原 英一