ディケンズ・フェロウシップ日本支部電子アーカイヴ1859年から60年にかけてのエッセイ群-- 作家の自己表白との関わり --
篠 田 昭 夫ディケンズはThe Uncommercial Traveller なるタイトルの下に全体のおよそ半分の量に あたるエッセイ群を"First Series"として、 AYR に掲載した。1 以下掲載順にそのタイト ルと日付を記すと次のようである。
そして更に、1859年から60年にかけて AYR にディケンズはUTと比べると分量的に短く、内 容的にもとりたてて注意を払う必要もないと思われるエッセイ群を掲載しいる。その名前を 列挙すると以下のようである。
それで以上のような事実を踏まえて、これからUT を対象として1859年から60年にかけての ディケンズとの相関関係に重点を置いた分析と考察を展開していくこととしたい。 UTはタ イトルと同名の語り手である無商旅人が一人称形式により繰り広げる随想録といってよい が、それを通底する主調は例えば第7章「外国旅行」2 ("Travelling Abroad")における 次の箇所より看取できよう。 Whenever I am at Paris, I am dragged by invisible force into the Morgue. I never want to go there, but am always pulled there. One Christmas Day, when I would rather have been anywhere else, I was attracted in, to see an old grey man lying all alone on his cold bed, with a tap of water turned on over his grey hair, and running, drip, drip, drip, down his wretched face until it got to the corner of his mouth, where it took a turn, and made him look sly. (64) パリへ来るときまって私は、目に見えない力に引っ張られてモルグへと行く。望んでい る訳でもないのに、いつもそこへ引き 付けられる。ある年のクリスマスの日も、どこか 他の場所に行きたかったのだが、モルグへと引き寄せられて、白髪の老人が唯一 人冷た いベッドに横になっているのを見た。その頭に給水栓から水が落とされ、ポタリ、ポタリと みすぼらしい顔を流れ下って口 の端に至り、そこで向きを変えて落下していき、ずるが しこそうな印象を作り出していた。 無商旅人、即ちディケンズはパリに滞在している時は、きまって行くつもりもないのに魔力 によるかのようにモルグ(身元不明死体の公示所)へ吸い寄せられる。ある年のクリスマス の日もかような状態でモルグに引き寄せられて、老人の死体が淋しくぽつんとベッドに横た えられているのを見た。これが暗澹とした孤独きわまりない状況にあることは明瞭であり、 そうしたディケンズの内面が、 'drip, drip, drip' というゆるめた給水栓から水が死体 の顔を流れ落ちて行く様を描写した箇所より、ありありと感受できるのである。連帯と交流 が何にもまして希求される時期であるクリスマスとモルグが結び付けられているだけに、 「黒々とした死の影」に覆われた状態 3 がいや増しに凝集され浮き彫りにされていることは 述べるまでもなく明らかである。 同じくモルグで見た「色黒の大男の死体」("the large dark body") (65)に一週間程付 きまとわれ、次第に出現する回数が減少していく中で、どうにか解放されるという体験をし たディケンズは、次のような想いを表白している。 It would be difficult to overstate the intensity and accuracy of an intelligent child's observation. At that impressible time of life, it must sometimes produce a fixed impression. If the fixed impression be of an object terrible to the child, it will be (for want of reasoning upon) inseparable from great fear. Force the child at such a time, be Spartan with it, send it into the dark against its will, leave it in a lonely bedroom against its will, and you had better murder it. (67) 賢い子供の観察力の強さと正確さはいくら強調してもし足りない程で、それに恐怖感を植え 付けたら恐怖と一体化した固定観念が根付き、更に無理強いをして暗がりに残し放り出すよ うなことをするくらいなら、その子供を殺す方がましであるとの激しい叙述が展開されてい る。ディケンズがおのが子供時代の体験を投影させて記述を進めていることは申すまでもな いが、第15章「乳母の話」("Nurse's Stories")の乳母から無理矢理毎晩聞かされた戦慄 を覚える話しをめぐる記憶を叙した箇所においても、そうしたものが認められている。 But, when I was at Dullborough one day, revisiting the associations of my chidhood as recorded in previous pages of these notes, my experience in this wise was made quite inconsiderable and of no account, by the quantity of places and people -- utterly impossible places and people, but none the less alarmingly real -- that I found I had been introduced to by my nurse before I was six years old, and used to be forced to go back to at night without at all wanting to go. If we all knew our own minds (in a more enlarged sense than the popular acceptation of that phrase), I suspect we should find our nurses responsible for most of the dark corners we are forced to go back to, against our wills. (150) ダルバラとは第12章で故郷再訪という体裁の下に描出されてもいるディケンズが5歳から10 歳までの幼少時代を過ごしたチャタム(Chatham)のことで、ここにおける実体験が、乳母 ("Mercy" (153)なる何とも皮肉な名前が付与されている)により毎晩授けられた沢山の荒 唐無稽でありながら生々しい迫真性を持つ物語から魂の深奥部が被ったトラウマと比較する と、何でもない取るに足らぬものと化してしまうという想い出話が記述されている。この無 慈悲な乳母("my remorseless nurse") (158)からのトラウマのために今日までずっと胃 腸障害に苦しめられ続けている(ibid.)無商旅人が、幼子をかように残酷に扱うくらいなら 殺害する方がましだと述べているのもむべなるかなとしかいいようのない感じである。こう した叙述をディケンズがおのが過去を全面的に公開して展開していることは到底あり得ない 話しではあるけれども、ある程度まで忠実に幼年期の雰囲気と状況を再創造している 4 こと は充分に考えられることといってよい。いわば乳母により毎晩死に至る拷問にかけられたに 等しい体験を持つディケンズの眼差しは、死の影が幼児をすっぽりと覆い尽くしているシー ンへと向けられることとなる。 それは第9章「ロンドン旧市内の教会」("City of London Churches")において、例え ば祖父と孫娘とおぼしい二人連れがロンドン旧市内のうち捨てられてさびれた教会("the deserted chuches") (90)の地下室へ通じるドアから中へ入って行く姿を最後に見掛けた場 面において見い出すことができよう。 . . . the personage and the child silently arrived at the steps, and silently descended. Of course, I came to the conclusion that the personage had at last despaired of the looked-for return of the penitent citizens, and that he and the child went down to get themselves buried. (91) 無商旅人がシティの教会で聖書も開けず、牧師の説教にも耳を傾けず、じっと戸口を凝視し 続けている姿から教会とシティの復活を期待していると想像した老人が、教会の隆盛の復活 を断念して、幼女を道連れに自らの埋葬のために地下へと降りて行ったとの夢想が展開され ていて、何とも死の影が全面に立ち込め覆い尽くした暗澹たるタッチで叙述がなされている としか形容の仕様がない感じである。 同工の描写が第3章「ウォピング救貧院」("Wapping Workhouse")にも出て来る。本章 のタイトルになっている救貧院を訪問した無商旅人は、絶望のあまり発狂して発作を起こし たと思われる眼前の若い娘の孤独で暗く惨めな姿への同情と憐れみを表白している箇所に続 けて、耳にした幼児の声をめぐる想念を次のごとく述べている。 I hardly knew whether the voices of infant children, penetrating into so hopeless a place, made a sound that was pleasant or painful to me. It was something to be reminded that the weary world was not all aweary, and was ever renewing itself; but, this young woman was a child not long ago, and a child not long hence might be such as she. (23) こんな絶望的な場所で幼児の声がしたので救われたと旅人は述べているが、それとともに幼 児が眼前の娘のようになるのかと想うとも述懐して、悪の影響力への不安を表明しているの である。 また第5章「哀れな商船員ジャック」("Poor Mercantile Jack")において、深夜のリ ヴァプールに足を向けて上陸した船員を待ち構えるいかがわしい界隈を巡視する警官隊に付 いて訪問した無商旅人の眼前に、突然書き取りに余念のない一人の幼児が出現する。 "Why, this is a strange time for this boy to be writing his copy. In the middle of the night!"船乗りジャックの欲望をかき立てて金銭を巻き上げようと罠を張って待ち構えている場所 で、真夜中幼い男の子が「全ての激しい欲望の火を抑圧せよ」という語句の書き取りに熱中 しているとは、いかにも皮肉としかいいようのない場面ではある。経営者の老婆が一方的に 捲したてて、「この子は友達と芝居を見に行ったため勉強に取り掛かるのがこんなにも遅く なってしまった。だけど、娯楽の後は勉強することで娯楽と啓発をきちんと有機的に結合さ せている」という説明を警官隊にしている箇所に続いて、上記の叙述が繰り広げられてい る。無商旅人も指摘しているごとく、老婆が余りにも幼児の書き取りを賞讃するものだか ら、却って欲望の火をかき立てることを狙っているのではないかという疑念がその弁舌を聞 いている者の内に自ずと兆してこようというものである。したたかな老婆と(その孫とおぼ しい)あどけない幼児という組み合わせの妙が両名のパフォーマンスとあいまって抜群の効 果をあげて、一見なかなかに感動的ではある。だが、深夜網に掛かる獲物を待ち受けなが ら、書き取りに余念のない幼児とそれを陶然と眺めてはやたらに警官隊に神の祝福を祈願す る老婆の姿は、空々しさを通り越して不気味ですらある。と同時に暗然たる想いに襲われる ことも防ぎようがない。強制ではなく自発的に書き取りに取り組んで熱中しているように見 える外観がたとえ真実の姿であるとしても、いかがわしい場所で真夜中まで起きてカムフ ラージュの道具として使われている幼児の人生行路がまっとうな道を歩むものであるとか、 いささかでも明るい展望を備えているとは到底思えないからである。 同じことは救貧院と いう絶望的な場所で無商旅人の耳が捕らえた声を発した幼児達にもいえる訳で、それが旅人 自身の、つまりは作者自身の幼年時代の記憶や心象風景と一体化されて、暗澹たる絶望感と 虚無感がいや増しにされて募る一方であるという印象を強く受けるのである。そうした雰囲 気が作品を通底する死の影をますます深化し浮き彫りにしていることはもはや指摘するまで もあるまい。 ところで、ディケンズの幼少期が死の影に付きまとわれていただけではなく、別の側面も 存していたことは論を俟たない。先述のダルバラなる名称で言及されているチャタムで過ご した幼少時代が、ディケンズの生涯に中でエデンの園にもたとえられる幸せな時期 5 である ことは、今さら述べる必要もない程周知の事実であるからである。それで第12章「ダルバ ラ・タウン」に少しく目を向けることとしたい。 ディケンズは1860年8月にロンドンのおのが邸宅タヴィストク・ハウス(Tavistock House)を売却してチャタムとそれに隣接するロチェスターの近郊にあるギャズヒル・プレイ ス(Gad's Hill Place)に移ったのであるが、これは重要な意味を持っている。約40年間彼 はロンドンに住み続けたが、その間もチャタムが真の住処だと絶えず考えており、遂にそれ を実行に移して、故郷に帰ったことを意味しているからである。6 ギャズヒル・プレイスそ のものを購入したのは1856年3月であるが、1858年5月の妻キャサリンとの別居という体裁を とった離婚という大異変が出来した上に、心身両面における不安定と衰弱という要因も手 伝って、当初の予定を変更したディケンズはロンドンの邸宅を売り払い、ギャズヒル・プレ イスに永住することを決意するに至ったのであった。それで「ダルバラ・タウン」を AYR に 発表した6月は8月のタヴィストク・ハウスの売却とは時期的に少し遡るけれども、ギャズヒ ル・プレイスを終の住処と定めた姿勢でディケンズが居住していたことは言うまでもあるま い。もっともこれも人口に膾炙していることであるが、ディケンズのギャズヒル・プレイス へ寄せる愛着の念は尋常一様のものではなく、幼少期から持続されてきたものであった(第 7章「外国旅行」の冒頭部分において、9歳の少年である彼自身と現在の彼自身との問答の形 で叙述されているごとく)。だから丘の頂にそびえるこの邸宅を所有して居住したことに は、それこそ生涯を通しての夢が文字通り実現し得た意味も存しているのである。 さて、幼年期に駅馬車で離れたダルバラ・タウンを鉄道で久しぶりに訪れた無商旅人は、 今は医者となっている幼なじみのジョー・スペックス(Joe Specks)と再会する。そしてス ペックスの医院で、やはり幼なじみであり、現在はスペックスの妻となっているルーシー・ グリーン(Lucy Green)を交えて三人で回顧談に耽る。 We talked immensely, Specks and Mrs. Specks, and I, and we spoke of our old selves as though our old selves were dead and gone, and indeed indeed they were -- dead and gone as the playing-field that had become a wilderness of rusty iron, and the property of S. E. R. (125) ルーシー・グリーンは隣家の娘でディケンズの幼い恋人でもあったルーシー・ストラウギル であることは指摘するまでもなく、ジョー・スペックスなる幼友達にして、ダルバラ・タウ ンに居着いて医者として重きをなしている人物にも描写の密度から考えて、モデルは当然存 在しているものと思われる。 だが、ルーシー・グリーンとジョー・スペックスとが結ばれて円満な家庭を築き、そこへ 夕食に招待された無商旅人、つまりディケンズが両名を相手として子供時代の想い出話に花 を咲かせるという上掲の場面は、フィクションであろうと想像される。ギャズヒルに定住し て毎日のように往来している筈のチャタムを久闊を叙して再訪するという本章の結構それ自 体が、フィクション仕立てであることは論を俟たないからである。スペックス夫妻ともども 無商旅人は懐かしい時代を死滅したものとして回想し、彼等と遊んだ場所が鉄道会社の持ち 物と化して鉄路に占領されて壊滅してしまったこと等を話し合う。 同工の内容が汽車から降りて駅の扉から出た無商旅人が、懐かしの遊び場の消滅を目の当 たりにした瞬間の印象として綴られている。 . . . I looked in again over the low wall, at the scene of departed glories. Here, in the haymaking time, had I been delivered from the dungeons of Seringapatam, an immense pile (of haycock), by my own countrymen, the victorious British (boy next door and his two cousins), and had been recognised with ecstasy by my affianced one (Miss Green), who had come all the way from England (second house in the terrace) to ransom me, and marry me. (117) 無商旅人と称している筆者であるディケンズが、チャタム時代の想い出の核心をなすルー シー・ストラウギルをめぐる記憶と切っても切れない関係にある遊び場が消滅して鉄道の駅 に変貌してしまっている現実の状況に接して、ルーシーにまつわる記憶を 'departed glories' と叙しているあたりに、幼年時代の記憶を栄光に満ちてはいるが死滅したものと して、痛切な想いを込めて回顧している姿勢を感受することができよう。 無商旅人は例えば外見は昔のままの劇場でも同様の体験をする。「現実の劇場は何の慰め も与えてはくれない。昔の劇場は私の幼年時代と同じく密やかに消えてしまった」("No, there was no comfort in the Theatre. It was mysteriously gone, like my own youth.")(121)と。更にこの町に別れを告げる時に乗ったティムスン社(Timpson's)の駅 馬車発着所を探し求めた旅人は、大規模経営にものをいわせるピックフォード社 (Pickford's)の大型荷馬車が我が物顔に出入りしている事務所を見い出して、「全的に功利 主義的で想像力に欠ける」 ("wholly utilitarian and unimaginative") (118)と断ず る。最も嫌悪し忌避する「功利主義」を使用することで、ディケンズにはおのが幼年時代の 記憶につながる場所と事物の消滅とともに、一つの文明自体も消滅してしまった 7 ように思 えてならなかったという認識が示されているといってよい。それ故、幼児を過ごした魂の原 点ともいうべき故郷を中年に達して再訪した無商旅人がその似て非なる状況を慨嘆し、深く 絶望した後、ルーシー・グリーンの幻像と合体させることで僅かにスペックスなる幼友達に 光明を見い出して、夜汽車でダルバラを去るという本章の構成とその叙述に色濃く投影され ている作者ディケンズの、ギャズヒルに永住するようになってからのチャタムに対する絶望 と綯い交ぜになった諦念を看取することができそうである。そういう風に考えればこの 'Dullborough Town' というディケンズの造語になる名称は絶妙にして的確であり、今更ながら作家の言語 感覚の卓越した鋭敏さに舌を巻かざるを得ないのである。 「深く絶望したノスタルジア」8 を投影して、懐かしの故郷で失われた幼年時代を回想す る歩みを続けざるを得ない運命におかれたディケンズの眼差しは、ロンドンを描写対象とす る際においても、影と影の中にうごめく幼児達に注がれることになる。第13章「夜の散歩」 ("Night Walks")においてそれが端的に表出している箇所がある。 But one of the worst night sights I know in London, is to be found in the children who prowl about this place [i. e. Covent-garden Market]; who sleep in the baskets, fight for the offal, dart at any object they think they can lay their thieving hands on, dive under the carts and barrows, dodge the constables, and are perpetually making a blunt pattering on the pavement of the Piazza with the rain of their naked feet. A painful and unnatural result comes of the comparison one is forced to institute between the growth of corruption as displayed in the so much improved and cared for fruits of the earth, and the growth of corruption as displayed in these all uncared for (except inasmuch as ever-hunted) savages. (133-34) AYR に7月21日に掲載された本章の「2, 3年前、ある心労に端を発する不眠症にかかった一 時期」("Some years ago, a temporary inability to sleep, referable to a distressing impression") (127)という書き出しが、1858年5月の妻キャサリンとの離婚 が出来した時期 9 を指していることは指摘するまでもなかろう。時は三月(ibid.)と断って いるので離婚の直前の時期になるが、不眠症に襲われたディケンズは幾夜も一晩中ロンドン を歩き廻ったという。そして夜が明けると疲れ切った状態で帰宅して眠りにつくことができ たというのだが、深夜のロンドンを徘徊し彷徨している際の心情は次のように記述されてい る。この章の結びとして。 And it is not, as I used to think, going home at such times, the least wonderful thing in London, that in the real desert region of the night, the houseless wanderer is alone there. I knew well enough where to find Vice and Misfortune of all kinds, if I had chosen; but they were put out of sight, and my houselessness had many miles upon miles of streets in which it could, and did, have its own solitary way. (135) 本章の冒頭から繰り返し使用されてきた 'houselessness' が恐ろしい程孤独で寄る辺なき 寂寥感を浮き彫りにしている。真夜中の人気のない領域で宿無しの彷徨者が一人で居ること などロンドンでは少しも不思議なことではないけれども、おのが状態は孤独な歩み、彷徨、 漂白が何マイルにも及んで、通りから通りへとさすらうこと以外の何物でもないという作者 の打ち拉がれた暗澹たる内面が痛々しく感受される箇所である。この夜を徹しての散歩によ り不眠症を程なく打ち破った("it was soon defeated") (127)と書き出しの部分でディ ケンズ自身が述べ、親友であり相談相手でもあったフォースターがそれを裏打ちしている 10 けれども、それを額面通りに受け取ってよいものであろうか。答は否である。本論で 扱っているUTの前半の17章において、既述したごとく第7章「外国旅行」で特徴的に流露し ているように、ディケンズの想念、関心が驚く程死と死体に向かっていることが目に付く 11 ことが指摘でき、それを支える叙述が「底無しの疲労感」12 でもってなされていること も併せて指摘できるからである。 1836年4月の結婚以来妻キャサリンの性質と能力に対してディケンズは強い不満を抱き続 けて来たが、1857年8月の出会い以来エレン・ターナンなる27歳も年下の女優がいかに忘れ られない存在となって、キャサリンへの気持の冷却剤として効能を発揮したとしても、翌年 自らの手で家庭を破壊し家族を解体した上に長年親しかった出版社や友人などとの関係に修 復不能の亀裂が生じて、苦境に立ち孤立化した状況に追い込まれたディケンズの不眠症それ 自体は表面的には克服し得たように見えたとしても、それの原因となった孤立状況から生ず る苦悶や絶望などが末期まで痼疾となって付きまとい、彼の内面を不眠症の状態に置き続け たであろう事は想像に難くないことである。そうした内面状況の投影を例えば「弁護士事務 室」("Chambers")と題する第14章において見ることができる。 When my uncommercial travels tend to this dismal spot [i. e. Gray's Inn], my comfort is its rickety state. Imagination gloats over the fulness of time when the staircases shall have quite tumbled down -- they are daily wearing into an ill-savoured powder, but have not quite tumbled down yet -- . . . (138) 法学院の一つであるグレイズ・インの階段が朽ちて崩壊する終末の到来を想像して悦に入っ ている無商旅人、即ち作者がここに居る。追い詰められ気息奄々とし、孤立し疲労困憊し きった上に救いも寄る辺も皆無のディケンズにとって、陰気で荒廃した暗鬱な死の雰囲気に 覆われているグレイズ・インは、それであるが故に却ってなごみ寛げる場所となっているの である。「弁護士事務室」が AYR に掲載されたのが8月21日で、タヴィストク・ハウスの売却 が正式に決まった8月21日と重なる時期であるだけに、何かディケンズの無明の闇を彷徨す る死の影にすっぽりと包まれた姿が一際重苦しく不気味に迫ってくる感じである。 弁護士事務室の孤独と住宅の孤独とを対比させて論じている箇所においても、作家の凄ま じいばかりの孤独感の投影を看取できよう。 It is to be remarked of chambers in general, that they must have been built for chambers, to have the right kind of loneliness. You may make a great dwelling-house very lonely, by isolating suites of rooms and calling them chambers, but you cannot make the true kind of loneliness. In dwelling-houses, there have been family festivals; children have grown in them, girls have bloomed into women in them, courtships and marriages have taken place in them. True chambers never were young, childish, maidenly; never had dolls in them, or rocking-horses, or christenings, or betrothals, or little coffins. (146) 法学院の弁護士事務室が真に孤独な存在であり、住宅はどんなに孤独なものであるとして も、そこに家族の団欒や賑わいがある限り、事務室の如き真の淋しさと孤立性は存し得ない との対比論が展開されている。 AYR の事務室とギャズヒルとを対比させた叙述のように思え てならないが、いずれにせよ、家族団欒の場に背を向け、法学院を注視せざるを得ない立場 に陥ったディケンズの孤立感と寂寥感とが痛切に息苦しく感受されるばかりである。 かくのごとき状態にある作家が愛に対して敏感な反応を示すのは、当然の成り行き以外の 何物でもない。 . . . the happy nature of my retirement is most sweetly expressed in its being the abode of Love. It is, as it were, an inexpensive Agapemone: 13 nobody's speculation: everybody's profit. The one great result of the resumption of primitive habits, and (convertible terms) the not having much to do, is, the abounding of love. (165-66) これは第16章「アルカディアのロンドン」("Arcadian London")の一節であり、 AYR の9月 29日号に掲載されたものである。「この秋は完全に一人になって沈思したい気分を抱いて」 ("Being in a humour for complete solitude and uninterrupted meditation this autumn") (159)という書き出しで始まる本章には、ヴァカンスに人が出払って束の間の静寂 と平安が幻出した晩夏のロンドンに6週間滞在したディケンズの想いが叙されている。欲得 のしがらみから脱け出た単純質朴で愛に満ちあふれたユートピア空間をアルカディアと最高 級の讃辞を贈っている訳だが、これがディケンズに大きな慰安と癒しをもたらすものであっ たことは述べるまでもない。そうなると自ずと生活態度も安定したものとなってくる。 The simple character of my life, and the calm nature of the scenes by which I am surrounded, occasion me to rise early. I go forth in my slippers, and promenade the pavement. It is pastoral to feel the freshness of the air in the uninhabited town. . . (160) ロンドン中心部に突如出現した早寝早起きを旨とする静かで質素な規則正しい生活空間に、 作者もその一員として参入することにより大いなる安らぎを得たのであったが。 だが、所詮この安らぎと癒しはほんの一瞬の幻影に過ぎなかったのである。そして、この 事実を誰よりもよく弁えていたのは他ならぬディケンズであったのである。 A happy Golden Age, and a serene tranquillity. Charming picture, but it will fade. The iron age will return, London will come back to town. . . (168) アルカディアの如き理想郷を現出させた晩夏のロンドン中心部の姿も、直ぐに消えてしまう 束の間のものに過ぎないとの悲しみと諦めが認められている。そして同時に持続性のある癒 しと安らぎを希求したとしても、それが白昼夢であり幻想に過ぎないことも。却って束の間 の甘いヴィジョンに浸った分だけより一層深刻な傷を受け、死に近付いたディケンズが居る ように思えてならない。 かくして、無商旅人と自称するディケンズの自業自得とはいえ、息も絶え絶えの寄る辺な き死に至るまで止むことのない彷徨が続いて行くということばかりが、UTの前半部分の分析 と考察を通して感受され浮き彫りにされてくるのである。だからといって、生来の強烈な個 性的なものと人生の歩みから不可避的に生じた運命的なものとの相剋を通して、ディケンズ の「不屈のおのが正しさへの意識」14 が全的に消滅した訳でないことも明確に把握してお く必要があるだろう。UTしか遺さなかったとしても、ディケンズが英語における最高のエッ セイストとして記憶されるであろう 15 という指摘がなされるほどの出来映えを示している という事実は、上記のように考えないと到底あり得ないことになってしまうからである。 だが、自己正当性への自負が揺らぎながらも残存していたとしても、結局のところ、ディ ケンズの魂は運命の歯車に押し潰されそうになりながら、出口無しの救済など全く存してい ない彷徨をあえぎあえぎ続行せざるを得ない状況下にあるという想いが強く焼き付いて離れ ないのである。 (注)
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